スラム街だった90年代までの首都ワシントンDC | アメリカ暮らしほぼ30年おじさん

アメリカ暮らしほぼ30年おじさん

留学でアメリカへきていつの間にやら30年近く経過。日本への永住帰国のプランはもはやなし。誠に遺憾です。

アメリカへ来て2年目に最初の車を購入した。留学生の身分だから当然10年以上落ちのオンボロ車。でも信頼のトヨタ車だったからおk。自分はマニュアル車派というか、世代的にオートマなんて車じゃねえ的思想を持っていたので、当然マニュアル車を選んだ。左ハンドルだからシフトは当然右手。いざやってみると、慣れるのに時間は全くかからなかった。

 

ある日適当にドライブに出かけた。ナビなどまだなく、地図を片手に運転が当たり前の時代。でもその時は地図も見ないで適当にこっち、あっちなノリで車を転がした。大体こっち側へ向かっていればDCだというぐらい。DCとはアメリカの首都、ワシントンDCのことである。

 

DCは計画的に設計された街で、もともと綺麗な上流っぽい街だったらしい。それが、1968年にキング牧師が暗殺され、全米で大暴動が起こった際に壊滅的被害を受けた。長年、中心部を除いてスラム化したストリートにはドラッグディーラーが蔓延り、行政手付かずの状態のエリアが多く残った。自分がアメリカへ来た当時はまだそんな感じだった。

 

気づいたら車はDCの中を走っていた。たまたまそこが、最もひどい状態だったストリートの一つで、それはもう洒落にならないほどの「死のストリート」だった。目に入る人たちがみんなドランカーに見えた。焼け焦げて真っ黒な壁に割れた窓ガラス。まともに人が住めそうな建物なんて一つもない。ここで車が動かなくなったら生きて帰れないと本気で思った。

 

そこでやめときゃいいのに、自分はその後暗くなっても車を転がし続けた。あるところでとうとう道がわからなくなった。見ると真っ暗なアパート集合体が直ぐそばに。そこへ車で入りしばし地図を見ることにした。真っ暗で気味が悪いなーと思いつつ、とりあえず地図を広げて自分の現在地を知ろうとしていると、何やら外に人の姿が。それも一人二人じゃない、何人もいる。みんな手に紙コップみたいなものを持ってこっちへ歩いてくる。みんなゾンビのような容姿をしたガリガリの黒人たちだ。

 

"Hey, what's going on?" とか言いながら一人がドアのそばまできて紙コップをこっちへ向ける。そこで理解した。彼らは金を恵んでもらいに来たホームレスだ。この廃墟のアパート集合体は彼らの棲家なのだ。囲まれそうだ。ヤバい、殺される。

 

"Sorry...I...was just....looking for somethin..." とか何とかあたふた言いながら、彼らを挑発しないよう車をゆっくり動かした。彼らは生気のない表情でただ自分が去っていく様子を見ているだけで、追いかけてきたり攻撃しようとすることはなかった。道路に戻ったら全速力で車を走らせ逃げた。

 

何かで読んだことがあるが、貧困のひどい治安最悪の都市部には、ドラッグ中毒の母親から生まれてまともな教育も受けたことがなく、知っているのはストリートでドラッグを売ることだけというような子どもたちが当時はいたらしい(ということは多分今もいる)。自分があの夜遭遇したホームレスたちは、紙コップを持ってお金を恵むことしか知らない人たちだったのか。

 

のちに同僚にこの時の話をしたら、お前がアジア人だったから襲われずに済んだんだよ、白人の俺だったらきっと殺されてたと言われた。そうなのか。でも彼らは目が死んでいて、そんなことすら考えられないようにも思えた。当該の廃墟アパート群はそれから何年も経った頃に探してみたが、いくら探しても見つからなかった。多分取り壊されたのだろう。実際、DCは今では再開発があちこちで進み、2000年以降すっかり高級都市に生まれ変わった。自分が昔見た死のストリートはもうない。もともと優秀な大学もいっぱいあるし、各国の大使館が集うハイソな街だ。おしゃれなエリアも増えた。今やDCの不動産は一般人には手が出ないレベルである。

 

DCは自分がアメリカへ来て長い長い時間が経ったことを実感させてくれる街である。