今日はまいまい京都で寺町・新京極に。ブラタモリの新京極の回は見逃しで見ておりません💦
平安京の名残
井戸水に恵まれ、平安時代から錦市場の辺りには魚市場がたったようです。現在でも市場は井戸水を使用しています。お商売は料亭などに魚をさばいて納めるBtoBが多いとか。
錦市場と伊藤若冲(彼は八百屋)についてはこちら↓
江戸時代には徳川幕府公認の市場となり、明治期まで卸売市場の役割も果たしていました。鉄道輸送に対応して1927年に中央卸市場鮮魚部がJR丹波口駅横でき、錦市場からも店舗の移転がありました。
錦天満宮には同じ井戸水があります。
秀吉の都市改造
天下統一を果たした豊臣秀吉は長い戦乱で疲弊した京都の都市改造を実施。
高さ約5メートルのお土居、防塁、を築いて、洛中と洛外を分けました。御土居の中の税金は貨幣、外は米というシステムも導入
平安京の東京極大路から鴨川までの間の土地はそれまでは田畑で、この辺りの御土居は堤防としても機能しました。
【御土居、一周してみませんか?】
— 永太郎(ながたろう)@『色分け日本地図』発売中! (@Naga_Kyoto) April 2, 2018
京都を取り囲む約22.5kmの御土居跡を、一日で一周してみましょう。秀吉が架けた三条大橋を起点とし、反時計回りに御土居をまわります。自分の足で一周し、その長大さを体感してください。
4/30(振休),午前9時 三条大橋西詰 弥次喜多像前集合,参加無料,要連絡 pic.twitter.com/J9IsD6rYS4
市中の寺を御土居の東側に集めたので、寺町通りと呼ばれるようになりました。
中世のお寺はアジール(治外法権)で駆け込めば離縁もできるし、犯罪者も司法の手を逃れることができました
寺に武器を持ち込んで、謀反の拠点することが定石になったこともあって、秀吉は浄土宗の寺を中心に寺町を形成。西陣には主に日蓮宗を中心に寺を集めました。
本能寺も織田信長が襲撃された時は二条城の傍にありましたが、寺町に移転して現在に至ります。
本日は本能寺を紹介します!
— 京都の大学生ガイド みかん🍊 (@DU490QViWdRgzdl) September 21, 2020
本能寺は寺町通りに面しており、法華宗大本山のお寺です。
本能寺と言えば織田信長ですが、信長が討たれた場所はこちらとは違います。後にそこから豊臣秀吉が移転させたのが現在の本能寺です。
境内には信長の御廟や信長関連の宝物などがあります。#京都#旅行#写真 pic.twitter.com/DCJIK9kFpR
本能寺の南側を通る姉小路通は秀吉の都市改造以降にできた「新しい」道。
お寺はそれぞれ本山として機能していたので、地方の末寺から物見遊山を兼ねて、旅行者を多く迎えました。
書物、数珠など当時からお寺御用達の店が今でも軒を連ねています。袈裟屋さんがテーラーになった例も。寺町を形成することで当時から観光地化され、お寺にも経済効果が波及。
河原町、寺町通にある『小野数珠店』
— 山本勘助晴幸 (@yamakandoukisai) September 28, 2021
三百年余り数珠の商いをしておる。
京での老舗とは百年以上のものを云う。
儂も何れ出家した折には必要となろう。
神威楽斗なる傾き者も此処で数珠を所望致しておるとか。#小野数珠店 #数珠 #老舗 #GACKT #Gackt pic.twitter.com/I36nJHSXKl
鳩居堂もこちらが発祥の地。
寺町が栄えていたこともあって、東海道五十三次の最終地点がここからすぐの三条大橋となったという説も。
三条大橋欄干に残る擬宝珠(ぎぼし)は豊臣秀吉が天正18(1590)年に大改修を命じた当時のままです。また幕末の池田屋事件でついたとされる刀傷も残っています。 pic.twitter.com/LofwHUfVHM
— 山紫水明 (@sanshi_suimei7) August 25, 2021
統治⇒経済的繁栄
の短期的にも、長期的にも実現する秀吉のビジョンが凄い
寺町の誓願寺から上方落語が生まれたといわれています。
誓願寺の入口には迷子案内に相当する石碑が江戸時代からあり、往時の賑わいを伝えます。
蛸薬師通の名前の由来と京都市内の地名表示の説明がありましたが略。
寺町三条は交差はいびつ。
平安京では中国に倣った条坊制が採用され町には碁盤の目に道路が敷設。交通量に関係なく、現在よりも幅が広いところがほとんど。牛車のすれ違いのためやろか?例えば、三条通りは東海道や山陰道につながるメインストリートで幅は24メートル。
上からみると…
中世以降、繫華街では店が道路にせり出しました(現在なら不法占拠)。三条通りより北側は西側がせり出し、南は東側がせり出した結果、歪な交差点に。うーん古代の都市計画という超特殊事情!
京極通りを四条通につき当たったところにあるお土産物屋さん。祇園祭りの間は神様をお迎えする八坂神社四条御旅所に変身、というかそちらが本業。祭の肝は、神様のお迎えで鉾は神様のための賑やかし。ここも秀吉が統合移転。
八坂神社
— ハナトリ (@GosyuinOmikuji) July 17, 2019
祇園祭 山鉾めぐりの前にまずこちらから参拝。
今年は千百五十年奉祝記念ということで金文字✨あわせて祇園御霊会の御朱印も拝受。
お神輿は神幸祭を経て、四条御旅所に向かわれます。#京都 #御朱印 pic.twitter.com/5YTH8lcMkP
祇園祭の神幸祭終わりました。関係者の方々、本当にお疲れ様でした。門川市長や西脇知事もいらっしゃってました。
— 山村純也|らくたび代表 (@yamamura_junya) July 17, 2021
来年こそ、盛大に行われたらいいな。八坂神社の神様は、御旅所に24日まで鎮座されてます。 pic.twitter.com/v5wVM4H0J8
(続く)