唐招提寺は律宗の総本山。苦難の末に唐から日本へたどり着いた鑑真和上の道場として759年に建立されたプライベートなお寺。南大門は戦後の再建です。
軒の柱を〇、□の両方使うのは奈良時代の建築の特徴です。
もともとは南大門と金堂の間に中門があったようです。
今日の学び
古代建築の見せ場は材の太さ。
日本建築は釘を使わない、ではなく千年以上持つ釘を使います。四角い頭の巨大な釘です。
金堂(国宝)
奈良時代建立の寺院金堂としては唯一現存するもの。扉と連子(れんじ)窓の組み合わせで、白壁部分がほとんどありません。柱には胴張り(エンタシス)が施され、上部が細くなっています。
各時代の改修時に屋根の高さや軒の長さが変わったりなど外観に大きな変化がありました。建立当初、屋根の傾斜はもっと緩やかだったようです。
屋根は軒を支える三手先(みてさき)組み物に特徴があります。
見えないところにも補強が加えられています。
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明治時代の修理では小屋組の構造を西洋式に改めています。トラス構造(三角形を単位とした構造骨組の一種で、変形が少ない)で、鉄筋も使用されています。
基壇は花崗岩と凝灰岩で作られたようですが、修復時に石も取り換えられたようです。当初は近所の二上山の凝灰岩が使われたようです。
講堂(国宝)
平城宮の建物を移築した貴重な宮殿建築の遺構。寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れました。
鑑真和上存命の時は講堂のみで金堂はまた建立されていなかったようです。
鎌倉時代以降の改修時に禅宗様の桟唐戸に藁座となりました。貫を入れて木鼻もあります。
野小屋(屋根裏)を設けて、屋根を高くして折上小組格天井が張られています。
東室礼堂(重要文化財)
東室(ひがしむろ)は僧房、礼堂(らいどう)は僧坊の南半分を鎌倉時代に改築したものです。当時、高まった聖徳太子信仰から奈良の寺社リバイバルが始まりました。
西側の位置に鼓楼を礼拝するという意味で礼堂です。内部は通常非公開で、清凉寺式の釈迦如来立像が祀られています。
↓礼堂の中の様子がわかります。
鼓楼(国宝)
和上が唐から携えきた仏舎利(国宝)を安置している鎌倉時代の二階建て建物。「舎利殿(しゃりでん)」とも呼ばれています。
鎌倉時代に舎利信仰が復活し、平安時代に衰退した唐招提寺のリバイバルの契機となりました。見えない床のところには鎌倉時代の新技術である「貫」が使われていますが、古い建物を意識した造りです。
宝蔵、経蔵(国宝)
校倉造りで高床式の日本古来のスタイル。総柱で碁盤の目状に柱が並んでいます。校倉造りは木の組み合わせですが、伸縮を考慮し、かつ、保管をために湿気を減らす工夫がされています。
宝蔵は唐招提寺創建時に、
一回り小さい経蔵はそれ以前からの建物。日本で最古の校倉で、唐招提寺で最も古い建造物です。
開山御廟
和上のお墓は苔に囲まれた静かな場所にあってとても素敵です。
開山忌については↓
襖絵については↓
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(続く)