小学校2年生になると、新人の若い女の先生が担任となった。このとき、
俺は学級崩壊を、目の当たりにした。昭和47年当時だが、
なんと、授業中に子供たちが、かってに私語を話し、先生の言う事をきかない。
そして1学期の途中には、席を立ちはじめ、教室を脱走する児童まで
で出はじめた。俺も調子に乗って、授業中に講堂の屋根裏や校舎の裏で遊んだり
していた。しかも、学校の備品を破壊したり、裏庭にあったバナナの木みたいなのを倒したり、
花壇をけり倒したり、ガラスを割ったり、男の先生に追いかけられても逃げたりして
無茶苦茶していた。一度、仲間が、空き教室で大便をしたりしていた。
信じられんかった。そんなこんなで、楽しくやっていたが、ずーとやると面白くなくなる。
何がきっかけだったか、忘れたが、急に自分自身に変な正義感が、ムクムク沸いてきて
行動が変わった。なぜか、先生を助けてあげようと思い、こそこそと出て行くやつらを
追いかけて、むりやり捕まえては、教室に戻そうと、戦っていた。小学2年ぐらいでは、
実際のけんかの強さより気合があるだけで強いらしい。みんな俺の言う事を聞きだし、
学級崩壊は終わった。俺は先生に貸しを作ったと思っていた。
ここから忘れられない思い出がまだある。
俺は、2学期になって学級委員の選挙に立候補した。他にも
2,3人立候補していたと思う。そのとき俺は、絶対学級委員になりたかったので
教室で練り歩きながら、一人、一人に「俺に入れてくれ、入れてくれたら10円やる」
と言いながら、選挙戦を戦った。開票の結果、俺は圧勝した。
しかし、誰かが「サリー君は、みんなに10円あげるといっていました。」と告げ口
をすると、先生は、有無を言わせず、俺を失格にした。当時、なぜいけないのか
理解できなかった俺は、猛然と抗議したが、再選挙も拒否され、明確に何が
いけなかったのか説明も先生はせず、次点の子に話をすすめた。
多分、悪ガキだった俺を学級委員にするのは、悪夢に近かったと思う。
今ならわかる。なぜ駄目か、しかし当時先生にはもっと説明責任があり、
いい社会勉強の材料にできたはずだ。まあ今考えると学級崩壊させた
先生にそこまで言うのは、酷だと思う。
ただ、その後しばらく、子供ながらに抜け殻ようになっていたような
気がする。実際の日本の社会でもそれに近いことは、自民党のえらいさん
もやっていそうだ。現実の社会の方が学校よりゆるゆるだな。