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おもしろ人生

国内ファンド会社の外務員から外資系生保のライフプランナーを経て
国内最大手損保会社の正社員になるも、お客様を本気で守るために
会社を退職し、貧弱代理店を立ち上げた一人の男の生き様を見よ

小学校に、入学する。


多分、喜連小学校だったと思う。


担任の先生は、アサカ先生だ。


入学時に先生は、母に「私は、子供の好き嫌いを治すのが得意です。」


みたいな事を言ってるので、少し、ビクっとした。


自分で言うのもなんだが、子供のころは、


好き嫌いが激しかった。好き嫌いというより、


食えないのだ。 ちょっとでも合わない物が


口に入ると、「おえー」と言って吐き出してしまう。


当時、脱脂粉乳と言うミルクの様なものが、給食に


付いてきて、本当にまったく飲めなかった。


においだけでも駄目な状態だ。


好き嫌いを直すのが、ライフワークの先生は、


うれしそうに、「一口だけのんでみい」と言ったが、


絶対、飲めないと解っていたので俺はイヤイヤと首をふっていた。


アサカ先生は飲むまで、横に付くという戦法でて


俺をにらみつけながらがんばっていた。かなり長い時間の後、


(給食の時間はとっくに終わっていた)と思う。


それから、俺の前方に回り、「一口でいいから飲んでみいー!!」


と、ちょっと切れかけた声で言いながら


銀色のおわんにはいった、脱脂粉乳を無理やり俺の


口につけ、白い液体を無理に入れようとし、そして入れた。


その次の瞬間、当然だが凄まじい吐き気に


おそわれた俺は、(けっしてわざとではない、先生はこわい人で有名だった)


先生の顔にブーと、吐きかけてしまった。


苦しんで涙目で「はーはー」言っている、俺に


先生は、顔を拭きながら「こんな強情な子知らんわ」と言っていた。


「先生、強情じゃないんです。喰えんもんは喰えんのですわ。」


と言いたかったが、1年だったので大声で泣くしかなかった。


その時以来、先生は無理に食べさそうとはしなくなった。


ちなみに遺伝だと思うが、うちの下の子も食べれないものが多い。


しかも、俺よりひどい。。。。。

昭和40年に、俺は生まれた。西暦で言うと、1965年だ。


東京オリンピックの翌年だ。(多分)


子供のころの思い出は、はあまりない。


と言うか、あまり覚えていない。カゼ


記憶はないが、記録で見ると、福島区あたりに


最初いたらしい。


物心ついてからは、大阪の東住吉区にいた。


幼稚園に行くまでは、毎日、どこも行かずに


近所を毎日、ぷらぷらしていたように思う。


何となく、楽しかった。


ところが、ある日から。。。幼稚園に行かされた


幼稚園の名前だけは、覚えている。


あいわ学園だ。バスに乗っていっていた。


それぐらいしか覚えていない。


多分、何かトラウマかなんかのせいだと思う。

ドクロ




俺の人生を、生まれてから今までを思い出して、


内面からつつみ隠さず、書いていきます。


うーん。。絶対否定されそう。。