とりあえず、現時点で考えているところまで。

整理のために書いてみます。




アートや映像による文化の形成と、内発的発展論の役割に関する事例研究


【研究背景】

2000年に東京大学において設置された文化資源学講座を源流とし、文化資源論という考え方が生まれた。

これは、文化を社会の原動力になると考え、地域に蓄積された文化を資源として活用するという考え方である。

近年、この文化を軸に都市の再生を図ろうという考え方は、流行となっている。

このような流れによって、文化の資源を活かして、アニメ、映画などの映像、また、映像を含む現代アートなどの制作などが数多く行われている。


【研究目的】

研究背景において挙げた「文化」を如何に規定し、如何なる方法論を組み立てていくのかは、議論を交わす必要性がある。

何故なら、一言で「文化」と言っても、例えば、京都と、秋葉原の雰囲気と比べてみたら、同じ日本を代表する文化都市であっても、歴史に対するスタンスが大きく異なる。ともに日本の文化を表しているのだが、時間の重層性が違っているので、見られ方が全く異なるものとなっているのである。

しかし、今回、研究を進めていくにあたって、京都のような明らかに文化的である都市と、秋葉原のような文化的であるかどうか疑問もある都市を区別さず、あくまでも広く見て「文化都市」であると捉えて考える。


資源論の立脚点は、文化を享受するという「受け身」ではなく、文化を形成する「きっかけ」はどこにあり、それをどのように誘導するのかという問題意識が前提となってくる。

つまり、必ずしもある程度の歴史性を担保出来なくても、その存在のユニークさや、扱われ方で、評価される可能性がある街並みが多く存在するということである。


その典型が、最近盛んになってきた古い街並みや建造物を再利用した文化創造の仕組みである。

例えば、香川県の直島のような街は現代アートやデザインと共存した魅力的な街となっている。10年前は、観光客があまり訪れない小さな島であったのにも関わらず、現在は古い街並みと現代アートを結びつけ、若者を中心に人気の街となっている。


そして、最近では、アニメによってこのような「文化」を形成する仕組みを作っている活動もある。

例えば、富山県に制作会社がある、PAワークス(代表作品『ture tears』(2008)など)は、富山県の街並みを、余裕を持ったスケジューリングで定評のある安定した丁寧な作画によって美しく描き、富山観光イメージアニメを制作していたりする。

また代表作品てある『ture tears』(2008)も富山県が舞台であったのだが、このアニメにおいて富山県内のお祭りや歌、街並み、学校などが多く使われ、文化を形成するきっかけになった。


このように、現代アートやアニメなどの映像作品によって、全国各地で様々な文化の形成が行われている。

そして、その「きっかけ」はどこのあり、どのように誘導し、そして継続的な価値を保つ方法はどのような点にあるのか、文化資源論や内発的発展論の観点から、事例を調査研究していく。




【キーワード】

文化資源論/内発的発展論/聖地巡礼/イベント/芸術祭


【研究方法】

インタビュー/アンケート/ネット/書籍


【調査方法】

まずは、ここ10年間で新たに「文化」を形成し、年々観光客が増加している直島について調査。

「文化」形成に至るまで。その街の宣伝方法など。

 →インタビュー(街プロジェクトに関係した方に⇔出来れば。)

 →アンケート(直島を知っているか。どこで知ったか。なんで行こうと思うのか。どんな魅力があるか。など、様々な年代に調査)


そして、2008年より、アニメ『ture tears』による「文化」形成を図った、富山県城端について調査。


他には、アートトリエンナーレ(横浜・越後)、らき☆すた聖地(鷲宮)など。



【参考にする書籍】

・直島 瀬戸内アートの楽園/秋元雄史・安藤忠雄ほか/新潮社(所持)

・地中ハンドブック/財団法人 直島福武美術館財団(所持)

・直島アートガイド/ベネッセハウス直島(所持)

・内発的発展論/鶴見和子(購入・貸出予定)

・都市経済論/宮本憲一(購入・貸出予定)

・芸術起業論/村上隆(所持)


そのほか、文化資源論関連の本を読み進める予定。


【参考にする文献】

・アニメ聖地の成立とその展開に関する研究:アニメ作品「らき☆すた」のよる埼玉県鷲宮町の旅客誘致に関する一考察/山村高

・地域コミュニティ政策と内発的発展における外来要因の役割に関する考察/中村彰憲・前野大喜

・東京国際アニメフェア2009シンポジウム「アニメにおけるロケツーリズムの可能性~聖地巡礼と観光資源~」



など。

神戸新聞 「博物館で地域活性化は可能か…館長ら研究」


気になるキーワード→「カルチュアル・ツーリズム」


今、「カルチュアル・ツーリズム」が注目を集めているらしい。

確かに、最近のミュージアムで人気の出るところは、

地中美術館(直島)、大塚国際美術館(徳島)、金沢21世紀美術館(金沢)、ICC(東京)、

三鷹の森美術館(東京)など、

“体感”を売りにしているところばかりだ。


私も実際、これらのミュージアムには行ってきたが、

大人も子供もまるでゲームに没入したようにハマる。

人気の出るミューアムで扱う展示物は、主に現代アートが多いが、展示の仕方次第で古代であろうが、中世であろうが、可能である。

大塚国際美術館(徳島)はそれを可能にさせている典型であるように感じられる。


つまり、

作品の“古さ”ではなく、展示・公開の仕方の“古さ”をどうにかするべきなんじゃないか、と思う。



ミュージアムの多くは展示してある作品の小難しい文章を読んで必死に理解しないといけないところが多い。

これじゃ、かなり詳しい人じゃないとなかなか入り込めない。

行っても、せいぜい、ちらっと作品を見る程度。

これでは、子供も理解しがたい。


しかし、

これって、本来の展示の意味を果たせているのか・・・?と思う。

見てもらって、理解しながら楽しむことが、ミュージアムの展示のあるべき姿なのではないだろうか。

娯楽が増える中、どのようにして、作品のあるべき姿を保ちつつ、それらの娯楽に対抗していけるのか考える必要性があると感じられる。




これから、

映像文化産業における地域活性化を事例研究していくにあたって、

ミュージアムについての調査も必要だなぁ・・・・




【参考文献】

神戸新聞 2009/9/4

http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/0002308856.shtml

久しぶりの全体公開。


研究にあまり関係ないかも知れないけれど、最近読んでいるのは村上隆の『文化起業論』。

日本人が、欧米に通用するアートの生み出し方・売り込み方など書いてあった。

共感できる部分が、いくつもあった。

(世間の評価は賛否両論だけど。)


個人的に、もともと、村上や奈良は結構好きだったのだが・・・


村上や奈良は漫画やアニメをサブカルチャーとしてではなく、

ハイカルチャーとして伝えようとしている感じがあって、日本の文化を上手に売り込もうとしている存在なんじゃないかと改めて尊敬した。

これはある意味純粋に「日本らしさ」を伝えようとしていて、

本来、日本画を学んでいた村上がしていることと、なんとなく繋がる気がした。



共感出来たことを少しピックアップして書いてみると・・・



まず、芸術は、想像力を膨らませる商売である。という点。

芸術とは、想像力をふくらますための起爆剤が、いくつもしかけられていなければならないもの。

そして、その仕掛けを1人で作るのには限界がある。

大勢の知恵を集めた結晶体なのである。

これに対して、画商・アドバイザー・美術館の人などが、成否を相談し、

シナリオを勝手に作って作品の価値を高めていく。


 →これはある意味、ストーリーも何もないキャラクターに感情移入することと、似ているのかも知れない。

(デジキャラットだって、もともとはキャラクターが好きだった人が、

データベース化された特徴から、

勝手に「これはこういうキャラクターだ。」、「いやいや、こういう感じ。」とファンによる意見交換がなされて、

後からアニメになった。BY東さん)

これと同じで、現代アートと呼ばれるものや、それ以外のアートも、

本来芸術というものは、「妄想」を楽しむためになりたっているのではないだろうか。

最近のアニメには、妄想を必要とするものが多数存在する気がする。



芸術作品とは自己満足であってはならない。

価値観の違いを乗り越えてでも、理解してもらうという客観性こそが、大切。

価値観の違う人にも話しかけなければ、未来は何も変わらない。

本来ならば、わかりあえない人達とどう付き合っていくのか考えなければならない


 →ある意味、価値観の違いを乗り越える、客観性を大事にするという点では、、

「大人になってもアニメを観ること≒オタク」ではなく、

「大人になってもアニメを観ること=一般的」に変えようという現象は、ノイタミナ枠を中心に起こっている。

おそらく、大人になってもアニメを観る、ハマるということは、

「一般的」という印象というよりは、「広義の意味でのオタク」という印象を受ける人が多いと思う。

(勿論、見まくっていて、2次創作までしてしまっていたら「狭義のオタク」なのであるが。。)


現在それを覆そうとしているのが、ノイタミナ枠アニメなのではないだろうか。

『墓場鬼太郎』、『のだめ』、『M8』、『空中ブランコ』、『君に届け』これらはオタクっぽいアニメだろうか。

おそらく、これらを鑑賞することは、

「オタクっぽさ」というよりも割と、「一般的」な印象を受ける人が多いのではないだろうか。

オタクっぽいアニメと、そうでないアニメの違いは、

「データベース化されている萌え」を多用しているか、していないかという違いがあるのではないか。

また、音楽を声優に歌わせるのではなく、メジャーなもの(電気グルーヴ、レミオロメン、チャラなど。。)が使われている。

例えば、『墓場鬼太郎』『のだめ』『M8』などから、「萌え」は、感じるだろうか?

データベース化されていない次元のものであるから、「萌え」というものを一切感じないのだと思う。

「萌え」というものは、勿論、性的な意味も含むのだが、

「なんとなく、これまでのキャラの傾向から感じ取って言っている」っていうところがあるからだ。

以上の事により、「大人向け」アニメを「一般的な性別を超えた大人」に歩み寄らせようとしていることは確かである。



また、「萌え」という言葉についてであるが、現在これを多用することは、若干古い気がする。

オタクの中では、もう、「萌え~」なんて、実際使っていない。

今は、そのデータベース化されたキャラクター単体の「萌え」に飽きつつあり、

キャラクター×何か という風に移り変わっている気がする。


では、より「妄想」させるために必要なものは、妄想力を高める「土地」なのではないだろうか。

その理由はなんとなくなのだけれど、最近のアートでは、

すごく「土地」を有効活用したものが多い気がする。


 アニメ→場所にて妄想「ああ、あずにゃんはここに住んでいる設定なんだろうな~

ここでこんな事して・・・(妄想)」

  映画→場所にて妄想「ああ、がばいばぁちゃんはここで暮らしていていたんだな~・・・(妄想)」

 現代アート→場所にて妄想「ああ、タレルはここで何を思って作品を作ったんだろうな~

きっとこの景色の場所に作ったのはこういう意味で・・・(妄想)」


ただ、この妄想出来る「場所」をこれらのコンテンツによって持続的に活性化させていくには、

成功している場所、成功していない場所で、扱い方の違いがあるのではないだろうか。


今言えることは、

映画やアニメの多くは、すばやく作られ、すばやく放送され、すばやく飽きられていくということ。

そして、現代アートにおいては別で、その時その時で違った見せ方をすることが出来たり、

朽ちることをあえて見せ方としていたり、時間をかけてゆっくり完成されていくことを

敢えて見世物にしているものなどがあるということ。

そういう点では、少し違った観点で考察出来るのではないかと考える。

また、「映像文化産業を地域活性化に結び付けて考える」ということにおいて

それらの事例から学べる事は非常に多いのではないだろうか。


ただ、

映像文化産業における地域活性化を考える際、

絶対に言えることは、「妄想」を邪魔しちゃいけない。ということなのではないかと思う。