ミャンマーはよく、敬虔な仏教徒の国と呼ばれる。ヤンゴンについてまず目につくのは、街の中心にそびえ立つ黄金の塔シュエダゴン・パゴダである。
この国ではどこに行ってもパゴダがあり、どこに行ってもパゴダに行く事を勧められる。どのパゴダでも日中からたくさんの人が参拝に訪れ、仏教が日常にしみこんでいるのを感じることができる。
ぼくも今回の旅で、たくさんのパゴダを訪れた。最初は何気なくみていたパゴダであったが、途中である違和感をおぼえた。仏像の後ろに大きな電飾がほどこしてある。見た目から察するに、おそらく後光りをあらわしているということはわかった。
それから意識をしてパゴダを眺めると、時計が仏像のすぐよこにある。モニタがパゴダの外側にあって、それに映る仏像に礼拝をする人がいる。
しばらくして、日本で読んだ本の内容を思い出した。その本には、ミャンマーはパゴダなどの仏教施設は時代に応じて変化していくものと考え、遺産ではないので世界遺産に登録しようとしないと書かれていた。
この話が正しいかはわからないが、もしかしたら電飾やモニタも、仏教をいまに適応させる変化の一部なのかもしれない。
この国の人はとても親切で、その理由を尋ねるとみなが口をそろえて仏教を理由にあげる。しかし最近では民主化の影響もあって、特に都市部で仏教の教えがゆるくなってきていると、ガイドの人が教えてくれた。
ミャンマーでは今仏教徒とイスラム教徒の衝突が激化している。ビルマ難民や少数民族のことなど、かかえている問題はたくさんある。ミャンマーの人だから、仏教徒だから全てがいいということにはないだろう。
それでもぼくはまたミャンマーを訪れ、彼らの優しさにふれたいと思う。
民主化にかじをきり、外国資本をうけいれ変化していくミャンマーで、仏教がその思想を失わず、パゴダとともに変化していければいいと、ぼくは思った。
注:ミャンマー(ビルマ)の呼称について、当ブログではミャンマーと表記しました。
【文責:広報局1年 永井 勇輝】