色彩検定が終わり、会場を出て歩いていた。
70分間の試験の間ずっと色のことを考えていたら
そもそも色ってなんだろうと不思議に思えてきた。
目の前の木には緑と言われている色と茶色と言われている色がついていて
地面にも灰色と言われている色がついている。
色について考えているそのときにも、色は私を一人にしてくれるわけではない。
その瞬間色というものがなんだか得体の知れないもののように感じて、
そしてそのよくわからないものに常に囲まれている自分に気がついて気味が悪くなった。
でも同時になんだか楽しくなってしまった。
なぜなら自分にも色がついていて、自分自身も色の世界に存在していることに気がついたからだ。
*
私の肌には色がついている。
いいのりょうこの肌の色だ。
でもみんなが知っている赤とか青みたいな呼び方ではなんと呼ぶのか知らない。
たしか私が小さい頃、自分とお友達の絵を書いたときは、
肌は肌色という色のクレヨンを使った。
みんな同じ色だった。
夏の日焼けをした肌にも肌色を使った。
今思い出すとすごく不思議だ。
「いいのりょうこの肌の色」という私だけのクレヨンを作っている会社があるはずもなく、
砂遊びに夢中の私に自分の色を作る時間もなかったから仕方がない。
肌色と書かれていたから幼い私は当然のようにそれを使っていたけれど、
いったい誰の肌の色のクレヨンを私の肌の色として使っていたのだろうか。
*
肌色のクレヨンのことをずっと考えていたら
肌色は今どうしているのか気になった。
調べてみるとなんと今の日本では肌色というクレヨンは作られていないとのことだ。
「うすだいだい」や「ペールオレンジ」という呼び方に生まれ変わっていた。
慣れ親しんだ名前の廃止に少し寂しさがあったものの
私はすごく嬉しかった。
これで私は肌色で表現できない自分の肌に違和感を覚えなくて済むのだ。
私だけじゃなくてこの世界に済む人たちみんながこのようなもやもやした気持ちを持たなくていいのだ。
みんなそれぞれ違う色を持っている。
「肌色じゃない色」じゃなくって、自分の色を持っている。
*
今の時代、そして将来の子どもたちはどんな絵を描くのだろうか。
きっと私が小さいときに描いたものとは違った、
描かれてる人の数だけ色んな色が入っていて
すごく鮮やかで楽しい絵で溢れていくのだろうな。
【広報局2年飯野僚子】