「ほっとけないよ。」
私は最近、この感情の大切さについて考えることがありました。
中国広東省仏山市の路上で先月10月13日、
2歳の女児が車にひき逃げされたのに、
通りかかった18人が助けようとせず、女児は別の車にひかれてしまった。
女児はその後、病院に運ばれたが、意識不明の状態。
地元テレビ局が放送した現場の防犯ビデオの映像には、
路上に倒れて苦しむ女児をよけたり、
バイクを止めてのぞき込んだ後に通り過ぎたりする人々の姿があり、
「物質的に豊かになった半面で人心が失われた」
「社会の道徳心は地に落ちた」との嘆きが中国全土に広がっている。
<毎日新聞 2011年10月19日 東京朝刊より>
このニュースはテレビでも多くの報道がされていました。
倒れた女児は手を動かすなど助けを求めていましたが、
救助されるまでの数分間、18人がバイクや徒歩で横を通りすぎたそうです。
このニュースを見たとき、どうして助けないのだろうと心の底から
疑問と憤りを感じました。
反響が社会全体に広がったことから、中国共産党機関紙「人民日報」も18日、
「私たち皆が(現場に遭遇する)赤の他人になりうるのだ」と題した論評を掲載。
「文明社会の公民の責任にも関わる問題だ」と断じ、道徳意識の向上を求めました。
もちろん、今回女の子を見殺しにした18人のひとは
中国人の一部のひとでしかありません。
ですが、もしこれが日本で起きていたら、20人弱もの人々が
死にそうな状態にある子供を、見てみぬふりをするだろうか、、、と
国民性の違いを私は感じてしまいました。
この事件について考えていたときに、なにかを
「ほっとけない。」
と思う気持ちは全ての問題解決につながっているのではないかと感じました。
なぜあの人のことが気になるのだろう。
なぜこの事件が気になってしまうのだろう。
自分のまわりのことだけでなく、国際問題についても
「ほっとけない」という気持ちが芽生えたとき、
私たちは世界を自分の力で、平和を構築していけるのではないでしょうか。
また、そう考えたときに、日本人が幼少の頃からの教育などで培ってきた
“道徳心”はこれからもっと重要視されるべきではないかと思います。
なにかを「ほっとけないよ。」と思う気持ちが
世界を動かす1歩になると思ったできごとでした。
[広報局1年 北村瞳]