With my Camera | 学生団体S.A.L. Official blog

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慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

写真は、好きですか?



私は写真を撮るのも、見るのも大好きです。
日本人は写真をよくとるといわれます。
大事な一瞬一瞬を残したい!そう思って写真はよくとります。


***

私はこの7月末から一カ月間、ゼミの研修で海外に行っていました。
もちろんみんなカメラを持参しいく先々でたくさんの写真をとっていました。
私もその例外ではなく、たくさんの写真をとっていました。

研修はインドネシアの先生の自宅、そしてバリの農村で行われ、
近所にはたくさんのこどもたちがいました。
それらの地域は決して豊かといえる場所ではありません。

「路地裏」―― そう呼ばれる、すこしこみいった場所に先生の自宅はあります。
どの家もとっても小さく、エアコンやパソコン、冷蔵庫などはもちろんありませんでした。
バリの農村も同じです。
近所にはたくさんのこどもたちがいて、
私たちが写真をとると大喜びで、これでもかという笑顔でレンズを見てくれます。
私たちは子供たちの期待に答えてあげようとたくさんの写真をとりました。

研修後もいろんな国をまわり、
どこに行くにも、カメラを向け写真をとっていました。
私の友達は写真が好きで、特にたくさんとっていました。

しかしある時にふと、私は写真に違和感を感じました。
写真に、というよりも写真をとる行為にといった方が正しいかと思います。

それはフィリピンマニラのとある不法占拠地区へ見学へ行った時のことです。

「こういう雑多な感じというか、整然としていない感じ、好きだなあ」

カンポン(路地裏)の家群は小さかったもののまだ生活感があったのに対して
フィリピンのその地区は本当に人が生活出来るのか?と疑問をもつくらいの汚さでした。

友達はカンポンにいる時と同じ感覚で写真をとっていました。

子供が笑顔でカメラを見ていたときのように。

でも私を写真をとることができませんでした。
胸の中がもやもやしてたまりませんでした。

***


写真は、大きな力を持っています。
言葉よりも訴えるものが多いこともあるのではないかと思います。



東南アジアの国の街並みの写真をみると、なんとなく雑多な感じがしませんか?
友達はそれをみるのが好きだ、と何度も口にしていました。
ノスタルジックな気持ちになるのでしょうか。私も好きです。


路上に住んでいる人たちをみて、
大変そうだとか可哀想だとかの感情が湧いたとして。
それを写真におさめるのは、自分達の生活と‘比較して’可哀想だからという感情があったとしたら。
それをみた記念に写真をとっているとしたら。


昔、日本が台湾統治時代に台湾民族と連れてイギリスへ行き、博覧会で見世物にしたという報道が
されたことがあります。

それが真実であるかどうかが今問われているのでで深く言及は出来ません。


写真をとっている友達をみて、重なるものをすこしだけ感じました。

そう思う自分を恐ろしくさえ感じました。




【文責:木本佳歩】