やさしい嘘 | 学生団体S.A.L. Official blog

学生団体S.A.L. Official blog

慶應義塾大学公認の国際協力団体S.A.L.の公式ブログです。

“ぼく”にはお父さんがいない。
家にはお金もあまりない。
お母さんも元気がない。

けれど、ゴージャスで明るいお金持ちの”京子さん”が来た時だけ、家の中が明るくなる。
お母さん励まし、家を出て行った男の悪口を言い、ぼくに英語を教えてくれ、ハーゲンダッツを買ってきてくれる京子さん。

けれど、ある日ぼくが訪れた京子さんの家は、まるでがらくた小屋。
玄関にはぼろぼろの運動靴がいくつも散らばっていた。

そんな現実を隠してお金持ちを装い、今日も京子さんはぼくの家に光を灯しに来てくれる。








The end justifies the means.
嘘も方便
 
―みなさんは、このことわざに反対ですか、賛成ですか?







私は基本的に嘘が嫌いです。
私のためを思うなら、本当のことを話してほしい。

でも、たとえばその嘘によって私の生活が成り立っているとしたら。
真実を隠されているからこそ、しっかり生きていけるのだとしたら。




初めに書いた話は、メディアファクトリーの「嘘つき。」という短編集に入っている小説『やさしい嘘』の概要です。

“ぼく”とお母さんを元気づけるために、裕福なふりをして、「世界は輝いているんだ」と教えてくれようとする京子さん。
そんな京子さんのやさしい嘘が、他に頼るすべのない2人の、唯一の生きる支えになっているのです。



嘘は嫌い、と常々公言している私ですが、改めて考えてみると、世界はやさしい嘘であふれているように思います。



余命が近い子供に、「すぐ退院できるからね」と諭すお母さん。
いじめられても、親に心配をかけないように一人で耐える子供たち。
個人的にどんなに辛いことがあっても、生徒たちへの笑顔を絶やさない先生。
「必ず帰ってくる」と家族に約束して戦地へと赴く兵士たち。




「やさしい嘘」をつくことが、常に正しい選択であるとは思いません。
たとえそれがやさしさからでたものであったとしても、嘘には変わりないからです。

それが嘘だとわかったとき、
どうして嘘なんかついたんだ!と怒るのか
嘘をついていてくれてありがとう、と喜ぶのか
それはそのときになってみなければわかりません。



けれど一つだけ確かなことは、その嘘をついた相手のやさしさは、本物だということです。

嘘をつくというのは、エネルギーのいることです。責任を伴うものです。
やさしい嘘をつくということは、なんらかの悲しみや苦しみを、相手には知られないよう、自分の心で握りつぶすということです。

相手への愛がなければ、なせない業だと思います。



みなさんのまわりにも、もしかしたら、やさしい嘘をついてくれている人がいるかもしれません。
知らないどこかで、一人きりで痛みをこらえていてくれているかもしれません。

わたしたちはどれくらいの確率で、その嘘に気付くのでしょうか。
もしその嘘に気付いたら、そっとやさしさに感謝したいものです。

でも、気付かないことの方が多いかもしれません。
それはそれで、いいように思います。


だれかのやさしい嘘に、守られているのかもしれない。
嘘に限らず、見えないやさしさが、包んでくれているのかもしれない。
そう思うだけで、すこし気が楽になるような気がします。



思っている以上に、人は、世界は、やさしいのかもしれません。



【文責:広報局 石塚萌子】