ジャーナリズムとの関わり方のひとつのすすめ | 学生団体S.A.L. Official blog

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自分達は子供の頃から、それは美しいもの
そんなふうに何の疑いもなくそう思っている。

それはなぜか?

光の屈折など知らない人々は、天変地異の前触れと思うこともあるだろう。
あの虹をつたって何かよからぬものが降りてくるかもしれない。
あの虹の根元では、草木が燃え尽きているかもしれない。

我々は、なぜ、あの七色という情報にメルヘンを感じることができるのか?
考えてみたことはあるだろうか。

自分はない。
考えてみても分からない。

これを少しジャーナリズムに関連付けてみよう。
ジャーナリズムの役割というのは、考えることではなく、すでに起こった真実を人に伝えることだ。だが、情報を手にした瞬間、それが真実であろうと、偽りであろうと、考えることをやめてはならない。情報の真偽を見極めただけで終わらせてはならない。それが情報を人の手に渡すジャーナリズムの責任だ。

では、何を考えるのか?
考えただけで、事実が変わるわけではあるまい。

事件、それはつまり物語である。
物語には幾人もの人物が登場する。彼らには一人ひとり、それぞれの視点が存在し、彼らがお互いに作用しあって、一つの物語が完成する。つまり、ある出来事は複数の人から語られなければ事実とは言えないのである。

その中に「真実」と呼べるものは果たしていくつあるだろうか?
無数だ。

思うに、その無数に存在する「真実」から、たった一つを選び出すのは、不可能だ。
ジャーナリズムは、この「真実」をどう見極めるのか、それを考えなければならないのである。
「事実」と「真実」の違い。それが肝要である。

物語には始まりと終わりがある。

それは幻想だ。
物語には、始まりなどない。終わりもない。あるのはただ、人と人とが作用しあい、影響し、拡散していく生の有り様だけなのだ。物語に終わりなどあってはならないのだ。

なぜか?

多くの終わりの可能性を残したほうが人を引きつけられるから。
強制的に終わらせてしまっては、それ以上何も生み出さないから。
いくつも答えは考えられる。

そんな中で、これだけは言える。
目を背けるな。

その物語に関わった人々はこれからも生きていく。これからどう過ごし、どう次の物語に影響するのか。もしかしたらそれは次の物語ではなく、それも合わせて一つの物語なのか。それを考える。想像して欲しい。

Imagine.

What's going on?

常にこういう考えを頭の片隅において、色々な報道に触れていって欲しい。そう思う。

あるひとつのジャーナリズムとの関わり方として薦める。


広報局 神戸信紀