無心で打ち込む座禅とは | 学生団体S.A.L. Official blog

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お久しぶりです、3年の瀧川美紀です。

夏休みも終わり、学校が始まりましたが皆さんどのような夏を過ごされたでしょうか。

私の夏最大のハイライトは、僧僚の知り合いが若者に仏教に触れてもらいたいという思いから企画する【禅の旅】
に参加したことでした。

福井県にある曹洞宗大本山永平寺にて禅僧の生活を体験するという旅。

一日の動きとしては、朝3時に起きて座禅をした後、僧僚のお勤めに参列し、精進料理を戴く。
そしてまた座禅という、日常生活では味わえないようなものでした。

その中でも一番印象的だったのは座禅。


永平寺を開いた道元禅師は「仏道をならふというは自己をならふなり」といって自分の外に悟りを求めるのではなく、
無心になって坐禅にうちこむ姿そのものが悟りであると説きました。

私にとって慣れていない座禅を長時間続けるだけできつく、無心になることはとても難しかったのですが、
慣れていくうちに自分を落ち着かせ、時の流れを体感するという、とても不思議な感覚を味わうことが
出来ました。
また、座禅をする際の姿勢、呼吸からは等普段濁っている俗世にいたら味わえないような空気を吸えるような気がし、
色々と感じることが多かったです。



私は座禅に何時間も取り組む中、
この姿勢は無心になるという点で学ぶ姿勢と似ているのではと感じました。

何を学ぶにも先入観や疑いを捨てて師匠の教えを受け入れないと100%学んだことを吸収できない。
素直な気持ちで、相手を受け入れるそういった姿勢でないと、本当の意味で学んだとは言えません。

この座禅で習った姿勢も日常生活でも取り入れなければな。

そんなことを感じた禅の旅でした。

皆さんも、是非今度仏教に深く触れてみて下さい。
きっと日本人として何か感じるモノがあるでしょう。