今夏、僕は今回赤レンガ倉庫で展示される「SmilePhoto」のプロジェクトメンバーとしてカンボジアを訪問しました。現地での写真展開催、スラムでのインタビュー、農村でのカメラワークショップの実施等、盛りだくさんの6日間でした。
正直、だいぶ浮かれていました。大学初めての夏休み。非日常的な雰囲気の中に放り込まれ、存分にもてなされ、はしゃぎ、プロジェクトに追われる傍ら、すっかり観光気分に浸っている自分がいました。スラムを訪れた時でさえ、子供たちの愛らしさに翻弄されるばかりで、そこが様々な問題の渦巻くスラムだなんて意識はなく、ただただ楽しんでいました。
そんななか4日目に訪れたのが、プノンペンから3時間ほど車を走らせたところにある、プレイクラン村。水道も電気もガスも通っていないということは前々から聞いていたので、結構びくびくしていました。
ところがふたを開けてみればきれいな格好をした子供たちに、食べても食べても延々と出される食事、ふるまわれる地酒。なんてことはない。ライフラインは通っていなくったって、十分立派な村じゃないか。
バッテリーでうっすらと光るたった一つの裸電球の下で夜中まで続いた宴会は、僕の浮かれた観光気分をさらに加速させました。
翌朝のことです。そんなプレイクラン村の帰りのバス、村の女性が市場まで同乗するとのことで僕のとなりに座りました。
はじめは通訳を通して「ごはんは口にあったか」「寝床は不快じゃなかったか」とか、そんな風なことを笑顔で話していたのですが、途中その女性が突然身を屈め、泣き出したのです。なにがおこったのかと思えば、通訳さんが言うには今、旦那さんが病気を患っていて、十分な治療を受けられずに苦しんでいるとのこと。
言葉もわからない、ポケットに缶ジュース一本分ほどの小銭しか入っていない僕にはどうすることもできずにただ目を伏せるばかりでした。医療も保険制度も整備されておらず、お金のある人だけが十分な医療・教育をうけられるカンボジア。治せる病気も、治らない。
カンボジアの「リアル」を見ました。それを見にきたはずでした。街は少しずつ高いビルが建ち始め、観光客も増えてきたカンボジアではありますが、大してカンボジアについて勉強もせずにノコノコと訪れて、一体自分はなにがしたかったのだろう。と。
笑顔で僕たちを迎えてくれたスラムの子供たち。帰国後になって、彼らも様々な事情を抱えて今日を生きていることを聞かされました。僕らの目にはなかなか映らなかったスラムが抱える慢性的な貧困問題、衛生問題、人権問題。
子供たちがファインダー越しにのぞいた世界には、一体なにが映し出されているのでしょうか。もしかすると図書館に置かれた膨大な資料の中よりも、現地に出向いて感じる雰囲気よりの中よりも、映し出された写真の中から子供たちの「リアル」を感じることができるかもしれませんね。感じ方は人それぞれ自由です。ぜひあなたの目で、五感で、子供たちの「表現」を楽しんでください。「リアル」だなんて曖昧な表現ではなく、なにか形を得てください。
啓発活動というのは簡単そうに見えて、多くの手間と労力が必要なものなのだなと、それが今の僕の素直な感想です。フェスティバル開催にあたってご協力いただいた皆様には、心から感謝しています。
![CIMG0257.JPG](https://stat.ameba.jp/user_images/20111023/16/salkeio/a1/5f/j/o0150008411565285819.jpg?caw=800)
*プレイクラン村の少女