こんにちは。上智大学文学部の赤津ともみです。
私も先日無事に成人式を迎え、20歳になった事実を今更ながらひしひしと感じています。
あんなに遠かった「オトナ」にとうとう仲間入りしてしまいました。
一般的に20歳=オトナと言われてしまう年齢だけれど、はたして私は本当に「オトナ」になっていいのでしょうか?
そんなことを考えさせられたのは、大学のある授業がきっかけでした。
それはドキュメンタリー番組を自分たちで制作する授業で、自分の企画が無事通り、番組構成を考えている時のことです。
私は冒頭にこんな映像があれば絵になる、こういうインタビューを入れれば筋が通るといった具合に、「番組を作る」ことに躍起になっていました。
しかし、教授にその案を伝えるといきなりのNG―。
「なんで、この番組を作ろうと思ったの?」「どうして貴方はこの問題に注目したの?」
教授の質問攻めに私はただただ圧倒され、思っていることの半分も伝えられませんでした。
他者に伝える難しさを実感すると同時に、私は自分がとってもオトナ的な考え方をしていることに気がついたのです。「便宜上、構成上、絵的に、流れに沿って」等々―。
1番大切な「なぜ、どうして」がすっぽり抜け落ちていました。
子どものころ、みなさんもわからないことは全て「なんで?」「どうして?」とお母さんに聞いていませんでしたか?
けれど、年を重ねるごとに羞恥心から人にものを尋ねなくなり、私もいつのまにか20歳を迎えてしまったのです。
とても些細なことだけど、人に自分の気持ちを伝える上でとても大切なこと、それが「なんで、どうして」といった純粋な気持ちだと気づきました。
コドモ心を忘れないオトナ、それこそが私の目標でもあり理想の大人像です。
そんなコドモオトナには原口さんの言う買い物の「お買い得」の意味も、キラキラの宝石の裏にある労働問題や紛争問題も、自然と見えてくるのではないでしょうか…?