タクシーの運ちゃんも嫌がる宮古島最強文化 「お通り」 | 学生団体S.A.L. Official blog

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 「おとおりを回します」の一言で周囲は一気に静かになる。そして、その言葉は地元民にも嫌がる人がいる、素晴らしい宮古島の伝統文化の始まりを告げるものであった。
 
 私がこの夏、沖縄県宮古島の離島にある伊良部島へサトウキビボランティアとして訪れた際に知った伝統文化を紹介したい。
 
「お通り」とは沖縄県宮古島に伝わる伝統文化であり、お酒の飲み方である。宮古島で宴会があると、その人数に関わらず必ず「お通り」が回る。たとえそれが、2,30 人の大宴会であっても、2,3人の小規模な宴会であってもである。

 お通りに必要なものは水で割った泡盛、そして100cc程度のお通り専用グラス。宴会が始まると、誰かが突然立ち上がり「おとおりを回します」と挨拶をする。この人を親と言う。親はその言葉によって静かになった皆に向かって口上を述べる。その口上の内容が実におもしろいのである。この宴会の主旨や現在自分がこの場にいて感じていること、また日常の話題から政治問題に至るまで、ほんとありとあらゆる分野のことを、5分やら10分やら平気で語るのだ。

 口上が終わると親はお通りグラスに自分で泡盛を注ぎ、それを一気飲みする。そして、その親は飲み干したそのグラスと泡盛を持って、宴会に参加し、席を囲んでいる一人一人全員のところに順番に回って行くのだ。

 次に飲むのは親の左右どちらか隣の人である。親は自分の持ったお通りグラスを相手に持たせ空のグラスに泡盛を注ぐ。その時、親はその相手を見て、なみなみ注ぐか少し注ぐか調整してあげる。大体の人がなみなみに注がれるのだが。(笑)

 また、親がわざと少しだけグラスに注ぎ、その相手が「俺に対する愛はそんなもんすか!?」などと言い、親に泡盛をなみなみ注がせるというおもしろいやり取りもある。

 そしてこのように親に泡盛を注がれた相手は、親に「ありがとうございます」という感謝の気持ちを込めて、一気飲みをしなければならない。

 空になったグラスは再び親に戻されて、親は泡盛とそのグラスを持ち、その隣の人のところに行き、またグラスに泡盛を注ぎそれを注がれた相手に一気飲みをしてもらう。

 一気飲みをしてもらったら、またその隣の人のところへ行き、泡盛を注ぎ一気飲みをしてもらうという行為を、一周するまで親は続けます。そして最後の人が一気飲みをしたら、親は最後にグラスに自ら泡盛を注ぎ、それを締めの言葉を述べた後一気飲みをする。

だから例えば宴会に10人いたとしたら、親は一周で2杯、残りの9人は1杯ずつ泡盛を一気飲みすることになる。

 恐ろしいのが宴会に参加した人全員が、一度は親にならなくてはならないということだ。つまり上のように10人の宴会で例えると、1人合計11杯一気飲みすることになる。しかも、泡盛をである。(笑)
 
 また、もちろん酒を飲むのは自分の番に回ってきたときだけではなく、お通りが回っている最中、友情の証だと言わんばかりに会話をしている人同士で一気飲みが繰り返されているのだ。お酒に弱い人にとっては本当に恐ろしいと思う。

 しかし、その場からちゃんと抜けることは許されており、トイレに行くふりをしてその日の宴会には二度と顔を出さずに帰ってしまう人や隣の部屋で寝てしまう人はざらである。

 何を私が評価したいかと言うと、まず全ての人が親になるという機会があることで、普段何も語らない人であっても、静かに皆の注目を浴び、耳を傾けられ、話を必ずしなければならないのだ。また、親が一周して全員にそれぞれ酒を注ぎ一気飲みをしてもらうという行為で、初対面の人であっても必ずコミュニケーションを取らなくてはならず、お互いの距離を縮めることができるのだ。

 そこにこの「お通り」という文化が、酒の席での最高のコミュニケーション方法であると感じた。この文化には宮古島の人々の知らない人を知ろう、顔見知りとはもっと知り合おうという、全ての人々を受け入れようとする心の温かさを感じたのだ。

 私はまだ、未成年であったため遠くから見ていただけであった。しかし、島民の人の「来年またキビ植えに来て、一皮剥けたお前をお通り回す中で教えてくれ」という言葉が今でも温かく胸に刻まれている。

【文責:瀬谷健介】