ごきげんよう、ざらめの雨です。
 
FANCLのサプリメントを常用しています(夫が)。
 
それで、カタログが毎月届くのですが、
とても印象深い記事があったので紹介します。
 
ポルトガル中部のアゲダという町の
「アンブレラ・スカイ・プロジェクト」
カラフルな日傘を大量に吊るして街を彩るイベントなんだそうです。
 

ポルトガル、アゲダのアンブレラ・スカイ・プロジェクト

↓FANCL2026年6月号63ページの写真

 

ポルトガルの首都はリスボン。

飛行機でリスボンまで行って、そこからバスなどで行くのでしょうか。

 

Googleマップで見るとリスボンから車で3時間ほど北に行った場所に、アゲダはあるようです。

距離にして240~250kmくらいだそうです。けっこう遠いですね。

日本人にはなかなか行く機会がなさそうです。

 

せっかくなので、ポルトガルについて確認しておきます。

 

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

ポルトガル共和国(ポルトガルきょうわこく、ポルトガル語: República Portuguesa)、通称ポルトガルは、南ヨーロッパイベリア半島に位置する共和制国家首都リスボンユーラシア大陸最西端の国である。北と東にスペイン国境を接し、国境線の総延長は1,214kmに及ぶ。西と南は大西洋に面している。ヨーロッパ大陸部以外にも、大西洋上にアゾレス諸島マデイラ諸島を領有している。

国名

正式名称はポルトガル語で、República Portuguesa[ʁɛˈpuβlikɐ puɾtuˈɣezɐ] レプーブリカ・プルトゥゲザ。通称、Portugal [puɾtuˈɣaɫ] プルトゥガル

日本語の表記は、ポルトガル共和国。通称 ポルトガル

漢字表記葡萄牙で、 と略される。これは広東語の発音(Pou4tou4nga4≒ポウトウガー)による漢字表記に由来し、19世紀の中国南部で生まれ、日本を含む周辺国に伝わった表記である。それまでは「波爾杜瓦爾」「保留止賀留」「蒲麗都家」などの多くの表記もあったが、幕末期より日本でも葡萄牙の漢字表記が優勢となっている。

葡語表記はPortugal、国民・形容詞はPortuguês

国名の由来は、ポルトラテン語名である「Portus Cale(ポルトゥス・カレ、「カレの港」の意)が転訛したものとされている。

ユーラシア大陸の西の端っこの国で、日本には南蛮貿易の時代から、いろいろな文化が伝わっていると記憶しています。

カステラとか、ポンズはポルトガル由来だったような…?

 

漢字表記が「葡萄牙」って、知らなかったけど、カッコいい!

ポルトガルの地図も初めてちゃんと見ました。

 

調べてみると全然知らない分、知識が増えて楽しいですね。

 

 

日本での傘のお祭り

 

とても興味深いお祭りですが、アゲダまで行くのは難しい。

そこで、日本でも傘にまつわるお祭りがないかな?と思って調べてみました。

 

●日本における傘の歴史と祭礼における傘の意味

https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/202306/202306_01_jp.html

 

この記事の一部を抜粋します。

 

傘を使った、日本で見られる有名なお祭りを教えてください。

 

現在でも「傘」が使われている祭りは日本各地にあります。京都市の今宮神社で毎年4月に行われる、『やすらい祭り』では、疫病神を桜や椿がついた傘で吸い取り(憑依(ひょうい))、神社へ閉じ込めるための、疫病を払うための道具として使われています。同じく、京都市の『葵祭』(あおいまつり。加茂祭とも呼ぶ***)や『時代祭』******では、和傘にたくさんの花を飾った「風流傘」を手に持ち、行列する様を見ることができます。

また、長崎市で毎年10月に行われる『長崎くんち』は、傘鉾が町の印として発展してきたものです。町ごとに、趣向を凝らした100kgはある重い傘鉾を1人で担いで回すという、パフォーマンスが見られます。『博多どんたく』でも、傘鉾が町の印として、趣向を凝らした傘鉾が登場し、傘鉾の下をくぐると、無病息災のご利益があるともいわれています。

 

ということで、この記事では以下の4つが挙げられています。

  • 今宮神社の「やすらい祭り」京都市
  • 風流傘の行列が見られる「葵祭(賀茂祭)」「時代祭」京都市
  • 重量級の傘鉾が回される「長崎くんち」長崎市
  • 町の印としての傘鉾が見られる「博多どんたく」福岡市

 

様々な傘を見ることができるお祭りって、実はいろんなところにあるようです。

 

また、傘のお祭りを集めたサイトも見つけました。

 

 

タイのボーサーン村(チェンマイ県)のお祭りも面白そうです。

 

日本のお祭りは、このサイトでは以下の5つがピックアップされています。

  • 山鹿灯籠浪漫・百華百彩
  • 曽我の傘焼き祭り
  • 曽我どんの傘焼き
  • 鳥取しゃんしゃん祭り
  • からかさ万灯

よく調べられていてすごいですね!

詳しくはサイトをご覧ください。

 

 

傘がほしくなる季節☆

 

気が付くと、梅雨目前。

夏日も出始めて、だんだん日差しもキツくなります。

 

新しい雨傘や、日傘を買って気分を上げていきたい気持ちになりますね。

 

特に日傘!

最近では男性も日傘を使うようになり、

にわかに需要が伸びているのだとか。

 

よく晴れた日に日陰に入るだけで涼しいって感じるのは

大きなアドバンテージですね。

 

特に今くらいの季節には重宝しそうです。

 

内側の色は黒っぽく、外側は白や銀色に近い色だと、

紫外線カットが効果的・効率的で涼しく感じるそうです。

 

それから雨傘!

いうまでもなく、雨の日には重要なアイテムです。

私は雨の日が結構好きでして。雨音が好きなんです。

傘に雨が当たる音も好き♪

 

リズミカルで、楽しくないですか?

 

いろんな傘があると思いますが、現状は

日傘と雨傘を兼用のできるタイプが、

最強ですかね!?

 

それとも、日傘は日傘、雨傘は雨傘で使い分けるか…?

ここは収納スペースとも要相談で、悩ましいところです。

 

みなさんも、ぜひお気に入りの傘を見つけて、

鬱陶しかったり、暑かったりするこの季節を

楽しく迎えましょう!!!

 

----------------

 

では、今日はここまで。

ちょっと見かけたお話を、覚書くらいの気持ちで書き始めたら、

思ったよりいろいろと調べてしまいました。

 

たまにはこういうのもいいかな?!

 

では、また~(^ー^)/

今日が一日素晴らしい日になりますように♪

 

----------------

 

 

 

 

 

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☆カバー画像はこちら

岐阜県大野町の「道の駅パレットピアおおの」さんのお写真だそうです。

ポルトガルの「アンブレラ・スカイ・プロジェクト」に似ていて、かわいいですね!

 

〇道の駅パレットピアおおの

〒501-0532 岐阜県揖斐郡大野町下磯 313-2
TEL 0585-34-1001 FAX 0585-34-1002

ごきげんよう、ざらめの雨です。

 

水曜日の晩に大雨が降ってひどい蒸し暑さに見舞われました。

先週は窓を開けるようになった話をしたのに、もうエアコンに移行。

 

季節のめぐりが早くて驚くばかりです。

例年エアコン始動は6月の梅雨あたりが目安だったのですが、

もうすでに梅雨の気配であります。

 

さて、今日も「ゆる言語学ラジオ」の感想を書きます。

 

JAPAN PODCAST FESTIVALでの公開収録を編集したものだそうです。

場所は赤坂TBSということで、お客さんの雰囲気も伝わってきますね。

 

ちなみに、15:28~17:21あたりに下ネタ挟まりますので、

苦手な方はその部分スキップ推奨です。

この部分は別になくても、動画全体の話にはそれほど影響はありません。

 

●辞書のおもしろ説明を厳選しました。

2026/05/19配信

 

もしかしたら少し性格が悪そうな、辞書の話。

辞書を引き比べるって、辞書が複数ないとできないから

やったことない人が多いんじゃないかな?

 

けっこう面白いと思います。

 

  新明解国語辞典は重い恋愛を勧めてくる

 

水野さんが3年かけて通読したという『新明解国語辞典』。

ちょっと尖った語釈を書くと辞書好きの間で有名です。

 

初めに取り上げたのは、クリシェとされる「恋愛」。

第4版がかなり踏み込んだ内容でしたが、第8版もけっこうキテる。

 

 

れんあい【恋愛】(第8版)

特定の相手に対して他の全てを犠牲にしても悔いないと思い込むような愛情を抱き、常に相手のことを思っては、2人だけでいたい、2人だけの世界を分かち合いたいと願い、 それが叶えられたと言っては喜び、ちょっとでも疑念が生じれば不安になるといった状態に身を置くこと。

以下、堀元さんのコメント。

「僕、恋愛したことないかもしれないです。」

「そんなに夢中じゃなきゃ、ダメ?」

 

・・・・・・そういうこともあるかもしれませんね。

 

皆さん、この語釈に納得いく感じでしょうか?

それとも、ちょっと重すぎない?って感じでしょうか?

 

ちなみに、過去版では恋愛の語釈には、当事者として男女と明記することが多かったようですが、近年になって性別を書かなくなったことで、異性愛に限らない恋愛模様も含めて記述に含めるようになったという変化があるそうです。

 

「少女漫画みたいなドキドキが高い恋愛」をするのも、ある程度才能というか、体質というか、そういう先天的な何がしかのものが必要な気がするのですが、たぶん語釈を書いた人は「恋愛の極めてドラマティックな部分」を掬い取って語の意味を整理したのではないでしょうか。

 

もっと穏やかな恋愛もあると思うし、もっと穏やかな語釈もあると思います。

ネットで引くことができるWeblio辞書を見てみましょう。

 

[名](スル)特定の人に特別の愛情を感じて恋い慕うこと。また、互いにそのような感情をもつこと。

 

だそうです。

シンプルだし、「互いに」というのが大きな違いかな?

 

水野さんが紹介した語釈だと、「恋」単体の説明にも見えますね。

一部抜粋だからそうなっているのだと思います、たぶん。

 

  抽象語の説明はやたら難しい新明解国語辞典

 

水野さんから「語釈を読んで何の言葉の意味でしょうか?」というクイズ形式での語釈の紹介がありました。

せっかくなので一緒に考えてみましょう。

 

なお、以下では特別断りのないもの以外は枠の中の引用は『新明解国語辞典第8版』となっています。

(もっとも、枠内は動画の抜粋なのでいわゆる「孫引き」になると思います)

 

人間の行動を始めとするあらゆる現象が、その流れの中で生起し、

経験の世界から未経験の世界へと向かっていく中で、

耐えず過ぎ去っていくと捉えられる、2度と元に戻すことはできないもの。

む、難しいですね。

分からない人のために、コメント欄からヒントを作成しました。

 

ーーーーー


@user-river_mountain
時間の語釈はしばしば過去と今と未来と時が相互に循環参照するので、時間を過去とか未来に依らずに説明するのいいね 

 

ーーーーー

 

ということで、正解は→「時間」です。

 

哲学者が言ってそうな定義ですが、コメントの中にまさにそういう指摘がありました。

 

ーーーーー


@暦--koyomi
4:13 これは確実に、フッサール現象学における時間論を土台とした語釈ですね 

 

ーーーーー

 

フッサール現象学、なんとなく聞いたことがあります。

 

ちなみに、三省堂国語辞典(第8版)では、

「じかん【時間】過去現在から未来へと少しもとまらずに進んでいくもの。」

だそうです。

 

続いて、命の語釈について、

 

いのち【命】

生物が生きている限り持続している肉体や精神の活動を支える根源の包括的な呼称。

一瞬一瞬生きることの繰り返しとして捉えられる緊張の持続であり、客観的には有限であるが、主体的には無限の連続として受け取られることにその特徴がある。〕

 

以下、堀元さんのコメント。

「リラックスしてる時あるぜ俺。緊張の持続なの?命って。 

 そいつ悲観的に捉えすぎじゃない?

 人生をもっと気楽に生きた方がいいぜ。」

 

「緊張」という言葉からくるイメージがかなりインパクトありますね。

全体として、やっぱり難しいことを言っているように思えます。

 

続いて、「読書」の語釈。

 

どくしょ【読書】

(研究調査や受験勉強の時などと違って)一時現実の世界を離れ、精神を未知の世界へ遊ばせたり人生観を確固不動のものたらしめたりするために(時間の束縛を受けることなく)本を読むこと。〔寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない〕

 

以下、堀元さんのコメント。

堀元さん「読書したことなかったです。 え、すいません。僕人生で1回もしてない。読書も恋愛もせずに来ました。」

 

新明解〔寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない〕

堀元さん「それ言う必要あった?感じ悪すぎません?嫌いかも俺、新明解。 こいつ書いたやつ腹立つな。」

堀元さん「なんかだいぶ読書過激派でしたね。」

 

読書過激派な新明解国語辞典、特徴として〔〕の多用というものもあるそうです。

皆さんはどう思われたでしょうか?

 

貴重な紙幅をさいて、〔寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない〕ってわざわざ書く人のこと、どう思いますか?

書いた人と仲良くできそうでしょうか?

 

このあと、「異次元空間」を例に複合語が面白いという話が続きますが、割愛します。

 

  悪意がにじむ語釈シリーズ

 

水野さん選、「悪意がにじむ語釈シリーズ」ということで、1個目。

 

きりょう【器量】

当該の高いポストを汚さず仕事をやってのけるかという観点から見たその人の対処能力

前半いらないのでは?という話に。

 

堀元さんのコメント

だから、もう器量がないやつって「当該のポストを汚しているぞ」っていうことを言いたいがために書いてますよね。

感じ悪い人が書いてます?新明解って。

 

水野さん「それからですね、新明解のポイントは、

     カッコ内でわざわざ言わなくてもいいことを言って

     誰かを傷つけるってのが、新明解の・・・」

堀元さん「一言多いんですね、新明解って。」 

水野さん「はい。例えばですね~」

 

うえからめせん【上から目線】

●カッコなしVer

相手よりも優位な立場にあることを見せつける態度。

●カッコありVer

(時に勘違いに基づき)相手よりも優位な立場にあることを見せつける態度。

 

水野さん「これはいい仕事でもあります、実際にそういう風に使われることがあるから」

 

ここで、堀元さんからSpotifyか何かのイベントで「上から目線」で失敗した話がありました。

そこで会った年上の女性に、ちょっと上から目線で接してしまって、いただいた名刺を見たら「瀧波ユカリ」先生だったことがあったそうで。

「上から目線はよくない」という話でした。

 

次は、

 

ないものねだり【無い物ねだり】

そこにないものを求めて欲しがること。 

〔子供のわがまま、本来期待すべきではない点にまで及んだ批評など〕

堀元さんも〔〕の中がいらないと。

 

 

ろんそう【論争】

意見の違うものが互いに自分の説を譲ることなく主張する(し、ついには第三者から見ればどうでもいいことまで議論し合う)こと。

堀元さんからは、SNSの論争では()内のようなことがよくあるという話と共に、「本当に価値あるSNSの論争」とは○○○○○○○だ!というお話がありましたが、○○○○○○○は例によって下ネタ。

また、ペダンティック社動画視聴者には何回目かの話なので、省略します(※)。

 

(※ここは「割愛」ではなく「省略」です。使い分けはぜひ辞書でご確認下さい。)

 

 

じつしゃかい【実社会】

実際の社会。 〔美化・様式化されたものとは違って、複雑で、虚偽と欺瞞に満ち、毎日が試練の連続と言える、厳しい社会を指す〕 

堀元さん「ネガティブですね~!」

 

水野さんから、限られた紙面の中でできるだけ多くの辞書を収録したい辞書編纂の観点からすると、長々と語釈を書いて個性を出すことはかなり難しい話なんだ、ということの説明がありました。

 

例えば言葉は日々生まれていますが、そうしたいわゆる「新語」というのを辞書に載せたいと思うと、載せるのをやめないといけない言葉なんかも出てくる。

そんな辞書に掲載されなくなった言葉だけ集めた本が出るくらいだそうです→『三省堂国語辞典から消えたことば辞典』。

それでも削った語より新語のほうが多いわけだから、紙幅に余裕があるわけではない。

だから、相当の意思を持って書かないと、長い語釈は書けないそうです。

 

堀元さん:あ、そうか。「なんとなく勢い余って書いちゃった」ってことありえないんだ。 

水野さん:はい。

堀元さん:どうしても書きたいと思っての「実社会は欺瞞に満ちている」みたいなことを

     わざわざ書いてた、っていうことなんですよね。

      詐欺とかに引っかかった直後に書いてるんですかね?

水野さん:違う違う違う違う違う。

堀元さん:そう?そうじゃないとそれわざわざ書かなくないですか?

 

それでいうと・・・

 

じんせいけいけん【人生経験】

(順調に人生を送ってきた人には分からない)実社会で多くの困難を克服してきた経験。

堀元さん:やっぱり詐欺引っかかってますよね?詐欺引っかかった直後に書いてますよね?

 

筆者が詐欺にかかった可能性は否定しつつ、

水野さんから「手軽に新明解の毒気を知りたい方」に向けて

「俗」の漢字が入る言葉を引く、というおすすめがありました。

 

あと、新明解が公務員が嫌いすぎる話とか。

これは別のところでも水野さんが話していたと思います。

 

この辺は割愛します。

 

 

  循環語釈と基本語

 

「時間」のクイズのところで、ヒントとして持ってきたコメントにも出てきました「循環語釈」についてです。

 

水野さん:皆さん循環語釈って分かります?

堀元さん: 「チョコレート」って引いたら「チョコ」って出てきて、「チョコ」って調べたら「チョコレート」って書いてあるみたいな。

水野さん:うん。そうですね。辞書の中でぐるぐるぐるぐるたらい回しに会うだけで、実際その説明が載ってないっていう状態とかを循環語釈っていうんですね。

 

水野さん:僕もね、通読を始めて 1 番最初に「荒らす」っていう言葉が出てきた時に、語釈で「荒れた状態にする」って書いてあったんですけど・・・。

堀元さん:あ、怪しいぞ。

水野さん:ああ、新明解、循環語釈するんだ・・・

堀元さん:これだと、「荒らした状態になる」みたいな、循環語釈が出ちゃうんじゃないですか?

水野さん:うん。と思ったんですよ。そしたら、「荒れる」を引くとですね、「〔畑・庭・家などが〕手入れが行き届かなかったり乱暴に扱ったりなどして、本来の機能を失った状態になる。」って書いてるんですよ、ちゃんと。

堀元さん:おー、「荒れる」知らなくてもちゃんと分かる感じだね。

水野さん: そう。これがね、新明解の1番すごいところだと思う。その、循環語釈をとにかく避けたいっていう気持ちが前に出ている。

堀元さん:他の辞書だと循環語釈はある?

水野さん:あります!実名を出すと角が立つので(ださないけれども)、よくあります。

 

家にあった中型辞典で「むべむべし」を調べて循環語釈に行き当たってしまったというエピソードを話す水野さん。

「そんなことある?」と堀元さん。

 

実際に小学生の頃にあった話をしつつ、新明解はそういった循環語釈を避けることを頑張っていて、「基本語」と言われる誰でも意味が分かっている、見たら分かるような言葉の意味を説明することもとても頑張っていることを力説する水野さん。

 

基本語については、例えば「大きい」。ほかには「分かる」。

 

それぞれ、どうやって説明するのがいいでしょうか?

ここでは明かさずに、知りたい方には動画をご覧いただくことにします。

 

水野さん:だから、こういう「基本語」って皆さん多分引かないと思うんですよね。

     国語辞典で。

     でも逆に、そこにこそ新明解のクリエイティビティが詰まっている、と。

     意外と腕が鳴るとこなんすね、簡単な言葉の方が。

 

 

  まとめ

 

最後に、水野さんが三省堂書店のリニューアルオープンに合わせて、『新明解国語辞典』のコーナーに厳選した3つの語釈と水野さんが書いたコメントをポップにしてもらうという話をしてました。

 

堀元さん:もうちょっと引きあるもののポップ書きません?

     おすすめ本とかだったらさ、それ見に行って帰りに買って帰ろうかな、とかできるじゃん。

<中略>

水野さん:でもほら、その『プロジェクト・ヘイル・メアリー』みたいな小説だと書くこと何もないじゃないです?

堀元さん: いや、あるよ。むっちゃあるよ。あれ面白いんだから。

     俺、『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の推薦文書いたから。

     俺あまりに書くこと多すぎて、5パターン送っちゃったんだから。

     すごかったぜあの小説は。

 

そんな形で、水野さんが「何C何(※)」という組み合わせで、何万語ある収録語から3つを選んでポップを作るお仕事をしましたよということで動画は終わりました。

 

(※「何C何」というのは動画で出てきた言葉ですが、数学の中で組み合わせのことをこのように表現します。数学Aを履修していないとわからないと思いますし、私も字幕を見てなかったら意味がとれなかったと思います。)

 

☆参考

 

まとめると、特徴的な語釈を紹介しつつ、『新明解国語辞典』の魅力がわかりやすく(?)詰まった動画になっていました。

 

今回、少しだらだら書いてしまってすみません。

引用部分も動画のYouTube文字起こしのコピペによる孫引きとなっていますから、誤字脱字がありましたらご容赦ください。

 

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

では、今日はここまでとします。

 

ここまで読んでくださってありがとうございます。

またお会いしましょう♪

素敵な一日になりますように(*^^*)

 

୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧

 

☆ゆる言語学ラジオ(公式YouTubeチャンネル)

 

☆ゆる言語学ラジオ(公式Spotify;ポッドキャスト)

 

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ごきげんよう、ざらめの雨です。
 
人間関係については、誰しもが多かれ少なかれ
悩まされたことがあるかもしれません。
 
そんな人間関係について重要な示唆を与えてくれる記事を読んだので

みなさんにもシェアしたいと思います。

 

この記事です。少し長いのですが、示唆に富むものとなっています。

 

 

記事についてざっくりと説明すると、複数の本を引きながら「孤独」の問題についてそれがもたらす絶望やそれらの問題の解決方法になりそうなことについてまとめています。

 

私は、ざっくり前半と後半に分かれていると思いました。

 

記事本文に目次がないので、ここに項目を書き起こします。

 

  1. 進化心理学的な知見から見た孤独の悪影響
  2. 鬱の社会学的要因としての孤独
  3. 他者は基本、自分を「わかってくれない」
  4. 人間関係とは、他者が自分に対してもつ、そして自分が他者にもつバイアスのなかで、アイデンティティを管理していくことである
  5. ゆるいつながり

 

前半1~4は、「孤独」とは何かというような原理的なことを扱っています。

どうして人は孤独になり、どのように孤独に苦しむことになるのか?

孤独の克服方法はあるのか?

そして、個人の立場で見る、人間関係やアイデンティティについて考察しています。

 

いずれの項目も読み応えありますが、今回は1~4の中から「2.鬱の社会学的要因としての孤独」を紹介します。

 

後半にあたる5は、「孤独に絶望してしまうことのない人間関係」についての考察となっていると思いました。

 

読みごたえのある長文で、集中力が弱い私は途中で眠たくなってしまったのだけれど、頑張って最後まで読みました。

 

読み終わった時に思ったのは、「孤独」に取りつかれて病気のようになってしまった人間を救う手段が、「ゆるい人間関係」であるということの難しさでした。

 

というのも・・・・・・無駄なこととは知りつつ・・・・・・

ついつい出来の悪い弟のことを思い出しながら読んでしまったもので。

 

私の弟の話はこちらから読めます。

 

 

 

「抑うつ的な認知パターン」と「孤独」と私の弟

 

「2.鬱の社会学的要因としての孤独」の一部を引用しようと思います。

 

「抑うつ的な人間関係」をもたらしているのは、抑うつ的な認知パターンである。簡単に言えば、抑うつ的な人は、「自らを滅入らせるようなものの見方をしている」ということだ。
そして、抑うつ的な人は、自らが抑うつ的な認知パターンにはまっていることに気づくことができない。
なぜなら、抑うつ的な人は、自らのものの見方を絶対視する傾向にあるからだ。
ものの見方は、人それぞれだ。しかし、抑うつ的な認知パターンにはまると、そのような自己相対化ができなくなる。

簡単にいえば、抑うつ的な人は「自分の内面しか見えていない」。

「一般的に人が、とりわけ抑うつ的な人が、人生経験を解釈したり、それに反応したりする際に自分自身の参照枠を用いる傾向のことを、「内面指向性」と呼んでいる。
この用語は、感情や信念、判断のような内面の経験を、反応や行動の唯一の、または主なよりどころとして用いることを指す。

他人を理解するのに、自分自身の「参照枠」を使うことはできない。

しかし、自分自身の「参照枠」を絶対視している、それにいわば「埋没」してしまっていると、他人の言動も自分自身の「参照枠」を通してみてしまうことになる。ここに、抑うつを導く悪循環が始まる。

 

抑うつ的な認知パターンについて、より詳しくその特徴を見てみよう。
例えば抑うつ的な人は、他人に対して非現実的な期待を抱きがちだ。非現実的な期待は、多くの場合、他人が自分とは違うものの見方をしていることがわからないことから生じる。

抑うつ的な人は、自分がどのように感じているかを他人が知っているだけでなく、他人も自分と同じように感じている期待しているせいで、他人が自分が期待したのとは違った反応をしたことで、自分を何の気なしに傷つけたときに、落胆するにとどまらず、裏切られたと思うまでにいたる。

抑うつ的な人は「反芻的な思考」に耽る傾向がある。

 

<中略>

 

抑うつ的な人は、自らを孤立状態へと追いやっていく傾向がある。
そして、自らが孤立していることを、「知的」で、場合によっては「高貴」であると感じる独善性に陥り、自らの孤立を正当化する。
自分は「特別」だから、特別な配慮を受ける権利があると思い込み、そのことが良好な人間関係の妨げになり、怒りや拒絶、最終的には見捨てられ感や孤独感を伴った抑うつを招いてしまうことになる。

 

<中略>

 

さて、抑うつ的な認知パターンがどのように歪んでるのか、その特徴をいくつか見てきた。

このすべての特徴に通底するのが、「自分のことしか見えていない」という一点に集約される。
自分の「参照枠」だけを絶対的に信じ込んで、他者の言動がきちんと見えていない。

これを読んで正直、めちゃくちゃ弟のことだ!

と思いました。

 

実際の鬱または「抑うつ状態」みたいなものは、要因としては遺伝や環境も考えられていて、ここではいくつかある要因の中の「社会学的要因」というものに焦点が当たっています。

 

なので実際には、我が弟がこうした「抑うつ的な認知パターン」にすっかり浸かっているのは、社会学的な要因というよりはそのほかの要因も考えられると思いますが・・・・・・

ともあれ、抑うつ的な人が自らを孤独に追いやるその内面的な動きというものが、私が見てきた弟にとてもよく当てはまっていると思いました。

 

特に、この部分。

 

  • 他者を正しく認知することができず、
  • 他人に対する非現実的な期待が、裏切られる不快感を導出する。

 

詳しくは、弟についてのブログ記事を参照していただきたいのですが、

 

私の弟は、姉(=私)からの「自分が期待したのとは全く違う」リアクション、働きかけに出会ってちょっと傷ついただけで、即座に電話をかけてくるほどに怒り狂っていたわけですから、まさに「自分を何の気なしに傷つけたときに、落胆するにとどまらず、裏切られたと思うまでにいたる。」という様子を、私は実際に起きた出来事として目の前で見てきたのだと確信しています。

 

一連の出来事の結果、弟は私からの信頼を失って、私はもう二度と彼を助けることはありません。

 

こうした流れを見ると、抑うつ的な人が「抑うつ的な認知パターン」にはまり込んでいる自覚がないままに、「孤独状態」へと陥る様子はまさに私が見て経験してきたものとそっくりそのまま当てはまります。

 

私はこの文章を読んで、弟が自らの孤立を正当化するだろうこともよくわかりました。

 

弟がこの後どうなるか、私は知らないですけれども、

この第2項の後半には、引用した部分の文章に引き続いて、

 

「この抑うつ的な認知パターンを打破するためにはどうすればいいか。」

 

という具体的な方策が示されていますので、

もし、抑うつ的な認知パターンに陥っている人がいたら、

読んで書いてあることを試してほしいと思います。

 

参考図書は、マイケル・D・ヤプコ『鬱は伝染(うつ)る。』(福井義一監訳 定政由里子訳 北王子書房)のようです。

 

「2.鬱の社会学的要因としての孤独」を読んで私が言いたいことは、

 

「抑うつ的な認知パターン」にはまり込んだ人との関わりの中で、迷惑がられたり悲しい思いをしたりしている人へ、

――たぶんそれは貴方が悪いんじゃないですよ!

 

ということだけは言いたいと思います。

 

 

絶望的な孤独から遠い世界としての「ゆるい」コミュニティ

 

「5.ゆるいつながり」では、「自殺希少地域」と呼ばれる自殺者が有意に少ない地域のコミュニティについての考察がまとめられていました。

 

そうしたコミュニティには、どのような特徴があるのか?ということの検討を通して、「ゆるい」コミュニティの実態というものに迫るわけですね。

 

この項目では、個人の特質や認知としての孤独という話ではなくて、

「どのようなコミュニティの中で人は孤独を感じづらいのか?」

という人間関係そのものに焦点を当てています。

 

では、「5.ゆるいつながり」から一部抜粋しましょう。

 

コミュニティが緊密だと、そこでは価値観のすり合わせが発生して、そうしたすり合わせが苦手で、その緊密さに入ることができない人が孤立してしまう。
自殺希少地域には、そうした緊密さがあまりないのだという。
例えば、自殺希少地域のひとつ、旧海部町では、ひとのうちでも「ちょっとごめんよ」と言うくらいで勝手に入ってもいいのだという。玄関の鍵は開いていて、顔見知りくらいの関係でもトイレを借りに、気軽にひとのうちに入っていく。
必然的に、ひとは、たくさんの人と出会うことになる。そうしてたくさんの人と出会い、たくさんの人と話すことで、軽いコミュニケーションに慣れていく。この軽い知り合いの数が多いことで、自ずと、ひとが多様であることを腑に落としていくのだという。

 

<中略>

 

自殺希少地域の特徴は、みな、「自分の考えをもっている」という点にある。自分に考えがあるから、ひとは自分の考えをもつと知っている。違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥、仲間意識がない。
緊密ではない、ゆるい人間関係が多く結ばれている。これが、自殺希少地域の肝であるようだ。

だが、緊密でもないのに、どうして人間関係が結べるのだろうか。それは「ひとを助けるのにおいて相手の気持ちをあまり気にせずに助けようとする態度」が共有されているからだという。
つまり、「人助け慣れ」している。相手が何かに困っていて自分が助けてあげられることがあったならば一気に助けてくれる。「慣れて」いるから、助け方も上手だ。日常の小さな困りごとが、誰かの身に蓄積しないような状態が、つねに実現されている。

 

「5.ゆるいつながり」の部分は、ここだけ読んでも十分に価値があるほど含蓄と示唆に富む内容となっていると思います。

 

この部分をギュッと要約してみると以下の2つにまとまります。

 

  • 自分には自分の、他者には他者の考えがあることを前提として、外的な属性に依存せずに個人が直接的に評価されることで、派閥やグループが作られることなく「ゆるく」つながりを形成する。
  • 困りごとがあれば「相手の気持ちを考えずに自分の気持ち一つ」で行動する。

 

ここで思い出すのは、実は高校の頃のクラスがこんな感じだったなぁってこと。

 

私のクラスはけっこう特殊なクラスで、理系と文系の間に「総合」みたいな名前で置かれた1つしかないクラスでした。

文系クラスは4クラス、理系クラスは2クラスあって、その間に1クラス私の学級が入っていました。

 

全体的に学級としての盛り上がりや凝集力に欠けたところのある、

でも基本的には心優しいタイプの人間の集まりで、

頼まれ事があれば進んで協力までとはいかなくても断らない人が多かったです。

 

先生方からは、「なんとなくボヤっとして個性がはっきりしないクラス」に見えたと思います。

明確にリーダーに相当する人がいなくて、いわゆる陽キャ・陰キャみたいなキャラもいましたが、どちらもあまり自己主張が強くなく他者への干渉もほとんどしなくて、万事が控えめという感じでした。

 

理系でも文系でもない中途半端な感じが、中途半端な人を引き寄せたのでしょうか。

謎です。

 

一言でいえば、「ゆるい」状態だったのかもしれない。

当時は今ほど「ゆるい」という言葉が一般的ではなかったので、気がつきませんでしたが。

 

居心地は特別良くも無いが悪くもないって感じ。まさに「ゆるい」です。

今にして思えば、寛容で問題解決志向の人が多かったのかな、と思います。

 

卒業アルバムに入れるクラスの標語がなかなか出ずに、

「みんなでペンギンになろう」というのが最終的に決まりました。

謎です。

 

真面目に検討していたのになぜかこれになりました。

誰もツッコミを入れなかったし、詳しく意味を聞く人はありませんでした。

 

どう見ても「ゆるい」学級ですね・・・。

 

こんな感じが、おそらく孤独に苦しまなくてもいい環境だったんだと思った次第。

 

引用部分にあるような「必然的に、ひとは、たくさんの人と出会うことになる。」という環境は、学校における学級集団にけっこう当てはまっていると思います。

 

ここからわかることは、子どもたちがグループになって仲間意識を構築することで排他的になったり、異質な他者に対して攻撃性を持つことを回避するためには、「仲良くしましょう」というよりも次の2つのことを教えるほうがいいということです。

 

 

  • 自分の考えと相手の考えの両方を大切にする
  • 困っている人や助けが必要な人がいたら悩まずにできるだけすぐに助けるようにする

 

陰口や喧嘩が普通に見られるような凝集力のない「ゆるい」コミュニティでも、お節介と思われようがなんだろうが、助け合いを前提とする姿勢を保持していれば、孤独を感じたり孤立する危険が少ないということなんだと思います。

 

なので、「仲良くする」ことよりも「困っている誰かを助ける」ことのほうが大事になってくると思います。

 

学級経営をされている学校の先生方、ぜひ「ゆるい」学級経営を目指してみるのはどうでしょうか?

 

子どもの場合は「誰かを助ける」といった場合に、経験の浅さから上手な解決策が出せなかったり感情を上手に処理できなくてこじれたりすることがあるので、大人の手助けが必要かもしれませんが、「人助け」を手がかりに、問題があったときに「自分たちでどうにか解決できないか?」と考える問題解決志向を育てるのはとても面白いアプローチだと思います。

 

 

孤独・孤立に陥りがちな「抑うつ的認知パターン」の人間を「ゆるい」コミュニティは治せるのか?

 

以上、第2項と第5項と重要な部分を見てきましたが、こうして眺めてみると私が読み終わったときに感じた、

「孤独」に取りつかれて病気のようになってしまった人間を救う手段が、「ゆるい人間関係」であるということの難しさ

は、ある種の誤読でしたね。

 

そんなことは別に書いてなかった。

私が自分の弟のことに強く意識を引っ張られて、そう思っただけのことでした。

 

実際、私はかなり弟に「ゆるく」関ってきたつもりでしたが、結局、弟は「姉には姉の考えがある」という認知にいたらなかったし、それどころか、私が「助けようと思って行動したこと」が迷惑がられ、まともに受け止めてももらえず、こちらの気を遣った「言い回し」や「言葉遣い」を捉えて「一方的に裏切られたと思って激怒・拒否され」てしまったのですから、そういうことも考えてしまいます。

 

意識して「ゆるく」関わっていたつもりでしたが、弟の「抑うつ的な認知パターン」すなわち「自らを滅入らせるようなものの見方」はなんともならなかったですね

 

まぁ、私は一人しかいないのでコミュニティというものとは全く持つ性質が異なっているのは仕方がないとはいえ。

 

私が姉という立場で関わるから、そうなのだろうか?という疑問はありつつも、

「抑うつ的な認知パターン」を改善することは事実としてできなかったです。

 

そして、考えるのは、自殺希少地域のような「ゆるい」人間関係を構築したコミュニティに、すでに「抑うつ的な認知パターン」の人間はコミットすることができるのか?

 

ということ。

 

孤独に取りつかれたようになった人が、「ゆるい」人間関係が形成されているコミュニティに入っていくことができるか?

そしてそうしたコミュニティに入れば治るのか?

 

noteでは取り上げられていない話ですが、私は私の経験を通して、

そうしたことが非常に難しいのではないかと思っています。

 

「ゆるい」コミュニティも、予防的な意味で孤独を遠ざけることはできても、すでに自ら孤立・孤独を招くような認知パターンに陥っている人を助けるすべにはならないのかもしれない。

 

孤独の中で、「抑うつ的な認知パターン」という、さらに孤独を加速させる状態に陥った人が、「ゆるい」コミュニティという「場」に出会い、その中で寛解していくことはおそらく簡単なことではないのではないかと思いました。

 

では、どうしたらいいんでしょうね?

私はどうしたらよかったんでしょうか?

 

ブログ記事の前半で書いたように、鬱・抑うつは社会学的要因以外にも要因が考えられています。

これは、必ずしも社会学的要因、つまり人間関係の在り方に原因があるわけではないということです。

 

note記事に書いてあったような方法を、地道に自分で試してもらうしかないのかもしれませんね。

必要に応じてカウンセラーや精神科医など専門家の助けも借りつつ自己解決してもらうしかない。

 

一応、当該箇所を引用しましょう。

 

この抑うつ的な認知パターンを打破するためにはどうすればいいか。
この問いは、自分の「参照枠」を相対化して、自分とは違う「参照枠」をもって世界を経験している他者のことを想像するにはどうすればいいでしょうか、と言い換えることができる。
自分とは違う他者の存在をリアルに想像する。そのためには、
①自分の信念や感情の外に脱け出すこと、
②他者を信じる/信じないとか、愛する/憎む、味方/敵という二分法ではなく、他者についての適切な情報をもとに、「個別査定する」という態度の両面が必要になる。


①自分の信念や感情の外に脱け出す。自分の信念や感情の外に脱け出すために、著者は「行動療法」の有効性を説く。
ごくシンプルに、例えば身体の運動は、抗うつ剤よりもより効果が高いという実験結果もある。
「行動療法」の要諦とは何か。
それは自分の思考や感情、信念ではなく、自分の身体に、自分の軸足を移すということである。
抑うつ的な認知パターンは、思考や感情のスパイラルと信念の強化の閉回路だ。思考や感情や信念によっては、その外に出ることはできない。

②他者を「個別査定」する。
よく、孤立して引きこもっている人に対して、無条件に他者への信頼を説く教説があるが、他者は信頼できる人間ばかりではない。心を開いた瞬間、そのことを自分の我欲に利用しようとする人間もたくさんいる。重要なのは、他者を「個別査定」することなのである。

 

で、できそう?

わからないけど、究極的には「運動をするとよい」みたいなことが書いてありますね。

 

いろいろ気にかけていた姉を敵に回すような認知構造の人間(弟)に、個人を適切に査定する力なんか期待できないから、②は難しそう。

 

とすると、①の「自分の身体に軸足を移す」というやつが残る。

すなわち、「身体を動かせ」=「運動をしろ」というわけ。

 

それは、そうなのかもしれない。

意外と世の中、回答というのはシンプルなのかもしれない。

 

もっとも、弟のことは「もはや、どうでもいい!」ので、これは私自身の話として考えているわけではありません。

今さら弟に「これ読んでみて!」という話でもないと考えています。

 

ただ、ブログを読んでくださった皆様の中に、「抑うつ的な認知パターン」でお困りの方がいらっしゃいましたら、ぜひ参考になさってください。

 

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それでは今日はここまで。

 

読んでくださってありがとうございます♪

素敵な1日になりますように!!

 

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【追記】

誰かが引用している本の一節をさらに引用することを「孫引き」と呼びます。

今回は本の引用部分を含めた引用なので、純粋な「孫引き」というわけではないですが、「孫引き」というのは礼儀作法にかなっていないマナーが悪いことでもあるので、note記事の図書のリストを付けることで今回は許してもらうことにします。

 

●当該note記事に紹介されていた本のリスト

  • 孤独の本質 つながりの力
     ヴィヴェック・H・マーシー 著/樋口武史 訳/英治出版/2023年
  • 鬱は伝染(うつ)る。
     マイケル・D・ヤプコ 著/福井義一 監訳/定政由里子 訳/北大路書房/2008年
  • だれもわかってくれない
     ハイディ・グラント・ハルヴァーソン 著/高橋由紀子 訳/早川書房/2015年
  • 孤独と居場所の社会学
     阿比留久美 著/大和書房/2022年
  • その島のひとたちは、ひとの話をきかない
     森川すいめい 著/青土社/2015年
  • 生き心地の良い町
     岡檀 著/講談社/2013年

 

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