木曜日に繁昌亭にて桂吉弥、柳家三三の二人会があったので聞きにいく。
 この会は2日あって、私が行ったのは1日目。
 東西の正統派の落語の芸のぶつかりあいが見もの。
 中入り後の吉弥の「不動坊」は、体全体を使って利吉の家に独身男たちがいたずらをしかけていくくだりが演じていく。このあたりはこの落語のやま場。三三が「鮑のし」語りでもって噺をすすめていくのは対照的、上方落語の醍醐味を堪能。
 正直、うれしかった。
 吉弥の師匠、吉朝が死んで5年、米朝以来の正統派の落語がまだ聞けるなと思いがよぎった。
 吉朝は米朝にいちばん近い芸を持っていた。
 吉弥の落語をナマできいたのは梅田の太融寺で吉朝が落語の会を開いていたとき、かけだしのころを聞いたとき以来。そのときのおとなしかった落語が、枝雀の身体で表現するパフォマンスをかもしつつ、噺は噺できっちりと語っていく、吉弥の落語ができているのかなと感じた。
 対する柳家三三は小三治の弟子で、若手の実力、正統派の落語。
 初めて聞くのであるが、本格の品格のともなう落語。
 江戸のしっかりと噺を聞かせる落語。
 吉弥の柔に、三三の剛。
 対照的であれ、力で押し出す落語。
 東西の違いを改めて感じさせる落語会。
 前座で弥太郎が「時うどん」をやるが時間を気にして噺がやや早い。
松井今朝子さんの直木賞受賞作「吉原手引草」につづく吉原ものの第2作。
 前作は、吉原の最高位ある花魁の失踪をめぐるミステリー仕立ての作品であったが、今回は、舞鶴屋という遊女を抱えるお店の二人の禿、あかね、みどりが、成長して、花魁、小夜衣と胡蝶として名を張るサクセスストーリーであり、吉原の遊郭の四季の変化を織り交ぜた作品。
 この作品、吉原を舞台にした作品なので、松井さんがかなり考証して書き込んでいる、(といっても傍目からは見えてこない)、のでなかなかイメージがわきにくい。
 呼出し昼三、(花魁の最高位、昼に会うだけで5万か6万くらいのお金がかかる)、番頭新造、(30過ぎからの遊女、年季明けで借金か返し終えた遊女がそのまま居続ける)、紋日、(衣替えで自分が衣装を仕立てる、結構お金がかかるので、贔屓の旦那に頼んでお金を出してもらう。でないとお店がたてかえるが、その分、自分たちの借金が増えていく)、といった専門用語がでてくるので、知っているとおろしろいが知らないとわけが分からなくなるので、家にあった吉原関係の本、三谷一馬さんの「江戸吉原図しょう」を取り出して全体像が見えてきた。
 読んでみて、松井さんという人が女性ではあるが、男性的な人だなと感じるし、あっさりとばっさばっさと書いていくので、読むには気が楽といっとところである。
 吉原というと、遊女、男の買い物、性の道具のイメージはあるが、男をもてなすために、お茶から書道とかいろいろな習い事をして、教養を身につけた上でもてなす、割とハイクオリティが求められる仕事であります。女たちは年季、借金を抱えて苦労はしているというイメージを感じるが、それは案外男の思い込みの部分かあった、あったらあったなりにしたたかに生きていくのが遊女たちであり、それが女性なのかなと感じなくもなかった。今の女性たちよりはしっかりしているのかなと感じなくもなかった。
 悲しいのは後半で小夜衣が身ごもるのであるが、花魁という手前、流すことがなくても、子として育てることはなく、里子して出されるのは、読んでいてつらい。
 小夜衣と胡蝶は性格も容貌もまったく異なり二人で、成長して、花魁としてお職を張るって行くが、意識して、喧嘩したりいがみあるなどいろいろありますが、女の友情は切れないで続いていく。
 前半は、吉原の世界を描こうとして、いろいろと書き込んで、展開がぼけて戸惑うが、後半にむけて内容は良くなっている。二人のお店の主人を語りに話を進めることで、二人の人物象が立体的に見えてくる。
正月の松竹座の歌舞伎の昼の部は、「土屋主税」と「男の花道」の2本。
 芝居物2本立て。
 どちらもコンパクトに芝居としてのつぼ、役者の見せ場はよくできている。
 芝居のおもしろさが楽しめたのが正直な感想。
 「土屋主税」は、忠臣蔵のスピンオフに当たる。
 吉良邸のとなりにあった土屋主税の討ち入り前後の動きに討ち入りメンバーの大高源吾の逸話をからめての話。
 鴈治郎家の家の芸であり、東京の松浦の太鼓の対にあたる。
 松浦の太鼓は、芝居がばたばたとして落ち着きがないがこちらは、シンプルでコンパクト。
 時代が大正期にあたるのでいささか、教養主義じみていて古臭さがある。
 かん雀の土屋は、土屋主税そのものであり、この殿様ならこうなるなと感じさせる。
 うまさ、下手さより、当たり役で芝居を見せられるのは役者の冥利である。
 藤十郎の主税ではうまさがあだで、照れくさかったが、かん雀にはそれはない。
 源吾に染五郎、落合に薪車、其角に橘三郎と、かん雀とのバランスのとれたいい配役。
 橘三郎の芝居を見つつ、師匠の富十郎に見せてやりかかった。
 かん雀なら、鴈治郎の家の芸、椀久末松山などの作品が日の目に見れそうである。
 次は、藤十郎、幸四郎の「男の花道」。
 これは三世中村歌右衛門と土生玄碩との友情を描いた作品。
 歌舞伎というよりも、娯楽作品に近い。
 芝居のつぼ、見せ場はよく出来ていて、藤十郎がよく舞台にかけるのは良く分かる。
 玄碩がやむに止まれぬ事情で歌右衛門を呼ばなくてならなくなる。それを伝えたの時が芝居の最中。事情を知り、芝居を一旦幕を閉め、観客を前に、事情を説明して、断りを述べて許しを得て、玄碩のもとへ駆けつける。この場面がこの芝居の見せ場であり、緊迫感がある。
 藤十郎の歌右衛門、幸四郎の玄碩ともにニンのある役で、寸法に叶う配役。
 芝居としては今月の芝居の一番の出来。
 脇に、座元に竹三郎が出ていて、一役だけというのは寂しいが、芝居に厚みが出てくる。
 あと、松之助、吉弥が脇を固めていく。
 薪車、吉弥といい、脇にいい役者が揃いつつある。いっときの歌舞伎の廃れていたころのことを思うと嬉しい限りである。