ヤーチャイカ | Eisai i nyxta me ta ainigmata

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つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。


シネマアンジェリカで「ヤーチャイカ」を観てきました。
http://yah-chaika.com/
70分の中編なのですがほとんど写真群によって構成される映画です。
(一部映像が使われていたりはするので純粋に「写真映画」とは言えない)
ストーリーもたぶん放り出されるなと思って
始まる前にフライヤーを読んだのですが(以下有る程度引用)

恋人の死をきっかけに故郷の村へと帰った尾野真千子演じる
女(あえて「女」と書く)。
彼女の仕事は自分の名字(と村の名前が同じだから)彗星を見つけ
自分の名前(=村の名前)を付ける、その彗星を探すのが仕事だ。
昼間は子供たちと戯れ、小さな天文台の案内をする。
そこへ、都会の生活に疲れ(ここは全く描写していない)た
香川照之演じる男(あえて「男」と書く)が現れる。
死を望んでいた彼をひょんな理由から生かしてしまった女は
(ここで殯の森と同様尾野真千子は「脱ぐ」のよ)
男と心を通わしていく・・・

という話。
メインとなる話はそれで通っているのですが、
如何せん脚本としては説明不足です。
「だって、これは脚本じゃないのだから」。
最後男が別れて何かを「手に入れた」かと言われたら
何も手に入れてないのかもしれません。
女は女で、死んだ元彼に重ねるでもなく
淡々と男の存在を「あるがままに」受け容れて行くだけです。
それが何を産み出すかは、映画では描いていません。

人と人とを結ぶ映画では、この映画はありません。
人と自然や宇宙、「宙」への想いをめぐらす映画だと思います。

これは、観て感じる映画だと思います。
そして谷川俊太郎と覚和歌子の詩に想いを拡げさせる映画だと想います。
「ヤーチャイカ」とはロシア語で「わたしはカモメ」という意味。
ソ連で初めて搭乗した女性宇宙飛行士が会話で使った言葉です。

その「ヤーチャイカ」の詩(タイトルは知らん)が
映画のラストのメインを飾ります。
「地球と宙はつながっているんだよ」という
地上の人間には想像することしかできない世界とのつながりに
思いを馳せる映画です。

映画としてみたら、ちっとも面白くないと思うけれど
映画じゃないもの、ポエムを映像化したものとして観るとしたら
この映画が拡げてくれる想像力にゆだねるのは悪くないと思う。

映画の日だったので観客が30人くらい入っていたけれど
実際はもっと入らない映画だろうなってのは想像付くけれど
でも、この写真群(映像も入るよ)の世界は
わしはキライじゃないな。