天然コケッコー | Eisai i nyxta me ta ainigmata

Eisai i nyxta me ta ainigmata

つぶあんこは電気ショックで死ぬ夢を見るのか。


シネスイッチ銀座に「天然コケッコー」を観に行ってきました。
http://www.tenkoke.com/

まず、この映画を一言で言うと
「何も起こらない事が起こる」映画です。
たとえば魚喃キリコの作品のように
アンビエントな時間が流れる映画です。

こういうのって、スキなのですが
映画になるとわしにとっては
「いちばん苦手なタイプ」の映画になったりします。
見せ方によっては「ものすごく退屈」と紙一重であり
「何も起こらない事すら起こらない」映画になるからです。

天然コケッコーはかろうじて
「何も起こらない事が起こる」映画になっていると思います。

ストーリーを説明すると

主人公の中学2年生のそよちゃんの通っている島根の分校に
東京から転校生の大沢くんがやってきた。
その中学2年の夏から中学卒業までを描いた作品。

これだけで充分すぎるくらい「何も起こりません。」

そよちゃんにとってはじめての同級生であり
それは親密になる中で「恋のようなもの」に変っていきます。
とはいえ「恋と呼べるもの」に変っていく事を
メインとして描いている訳でもなく
中心となっているのは・・・

そよちゃんが中2から卒業していく中で
田舎の分校で何も知らなかった自身から
恋や都会など異質なものを『知っていく自身』
そして知る事で失われていくもの。
それはたとえば都会よりも田舎が合っている事を自覚しながら
都会の社会を受け容れていく事だったりするのですが
そういう部分がこの映画ではそれなりに描けているのです。
(とはいえ前半の描き方は結構もっさりだったりする)

これが描けていなかったら「ただのドキュメント以下」です。

そよちゃんが成長していく過程。
成長するということは、社会を知り、受け容れるという事。
異性とつながり、わかりあうという事。
これが描けていると感じられるのは
主役の夏帆の存在感というのも大きいと思います。
そよちゃん以外の登場人物、特に相手となる大沢くんの描き方は
かなりおざなりにしているのでなおさらです。

夏帆の存在感で、この映画が放つみずみずしさが
ぎりぎりとらえられているんじゃないのかなと感じました。

こういう「何も起こらない事が起こる」映画、
たとえば初期の岩井俊二みたいに自己満足さが露骨に出たりして
嫌いな映画が多かったりするのですが
わしはこの映画の世界、嫌いじゃないですよ。



あ、ちなみにシネスイッチでは役者陣のサインなどが描かれた
ポスターが飾ってあるのでチェックしてみてね。