↑つづきです。
祇園御霊会(祇園祭)の始まり
平安時代、疫病がたびたび猛威を振るい
こちらより↓ 抜粋させていただきました。
この869年、災厄を鎮めるために
祇園社(四条祇園の八坂神社)から
神泉苑に神輿を三基送り
"御霊会"を取り行ったのが
元祇園・梛神社さんと同じ"三月朔日"
ならば、神泉苑の御霊会と梛神社さんの
行事は同じ時になりますね。
場所的には、神泉苑あたりと
祇園八坂神社とは距離があるように
思いますが、実は神泉苑と
祇園・八坂神社の本殿下の池?(青龍が居る)
の地下水は繋がっているそうなんですよ
京都市内は地下水が今もとても豊富で
歩いていて目視は出来ませんが
"水"の流れのエネルギーを感じるので、
なぜか癒されるのです
左上の肌色★が神泉苑。
右端に八坂神社。そして八坂神社の
前の四条通りを西に行くと梛神社。
さらに西の端には、松尾大社があります。
気になったのが、"三月朔日"
古代中国、大陸の方では旧暦の
三月の最初の"巳"の日に
川など水辺に行って禊ぎをして
厄、穢れを祓うことをしたそうです。
謂わゆる"上巳の節句"
="桃の節句" "雛祭り"の
原型ですね。
"桃は百"(もも)→
"白の一(始まり)"
そして余談ですが大陸の西、
崑崙山脈の主であり
神仙の女仙を統べる女神は
"西王母"
彼女は牛頭天王と同じく、最初は疫病や
刑罰をつかさどる存在だったのが、やがて
"不老不死の薬(霊丹妙薬)や
一つ食すと寿命がのびる桃(蟠桃)
を有する、長寿の女神としても信仰
されるようになったそうです。
西王母は三本足の烏、天の川の織姫(七夕)
とも関係があります。
なぜ"巳(蛇)"なのか?
蛇は龍と同じで陰陽でみると"陰"(地)
であり、巳=み=水(陰)ですね。
蛇は脱皮を繰り返し成長し、冬に冬眠して
春にはまた活動を再開します。
生まれ変わる不思議な力を持つ蛇と
生命の源であり、全てを洗い流す水の力に
昔の人はあやかろうとしたんでしょうね。
さらにですが
旧暦の3月3日、沖縄では"桃の節句"
ではなく"浜下り"(はまうり)という
行事があるのです
『カマンタ(大なべの蓋)を地面に置いて、
その下でアカマター(蛇の一種)が7回
孵化すると人をだますので、カマンタは
地面に置かないで、木にさげなさいね』
と言われていた。
ところが、ある女がアカマターにだまされて
しまった。アカマターが人に化けて、赤い
ティーサージ(手拭)をかぶり女のもとへ
来るのを隣の人が見て、「ねえ、あなたたちに
来る人を、あなたは男と思っているのですか」
と聞くと、女は「はいそうです。
私の恋人だもの、男ですよ」と言ったので、
「あれは人間ではないよ」と教えてあげた。
すると、「どうして、そういうことを
言うのですか」と言うので、「あなたは
たくさんのウー(芭蕉)を紡いであるので、
男が来たら針にウーを通して頭に刺し、
あとでそのウーをたどってみなさい。
そうすると行き先がわかるはずだから」
と言われた。
その通りにすると、ウーバーラ(芭籠=
芭蕉の糸を入れる竹のカゴ)に一杯
紡いであったウーは、アカマターのガマに
全部ひっぱられていたんだって。
地域によって細かい部分は異なりますが
古事記にある、三輪山の大物主神(蛇神)と
活玉依姫のお話し→糸を相手に付けて
正体を探る苧環(おだまき)型の
説話と似ていますね
思わぬところで話しが脱線しましたが
武信稲荷さんに続きます。