昭和の語り部④ススキノの想い出 | 売上増を実現する宴会セールステクニック

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小手先ではなく心構えからしっかり考える、目から鱗のホテルセールス実践論。当たり前だけど大切なことを、ご一緒に確認していきましょう!

 学生時代、コンパと称して年1~2回位ススキノに出没。

コンパの聖地「グランド居酒屋富士」だけ、他による店知らず直帰。

本格的に通いだしたのは昭和47年札幌グランドホテルに入社、一日出勤すると

7000~10000円チップが稼げました。

当時ベルボーイが職場。新婚さんをお部屋にご案内するだけで1000円のチップです。

一日勤務するとチップで10000円前後の収入。

当然ススキノ直行。チップ貯金は無し。全部ススキノでの社会勉強の授業料。

入社1年目給料手取り一ヶ月38000円でした。(昭和47年です。安くてビックリでしょ!)

 

 当時のススキノはスナック全盛時代、カラオケは無し。サントリー角をボトルで注文、チャージ代が一人1000円でした

一度ススキノに出ると最低2件のスナックに行き其々ニューボトル入れてもチップで楽勝です。

あの頃はカラオケがまだ無く、お店の女性もお話がうまく楽しかったなあ。

カラオケが普及後、ススキノの女性も勉強せずすっかりつまんなくなりました。

 

以下思いだす順番に想い出を報告します。

①ススキノ通い最盛期の頃グリーンビルで火災発生、このビルには2件ボトルキープがあり未だ未入金

 ラッキー!と思いススキノに何件ボトル置いてあるのか暗算⇒なんと16件ありました。

毎晩の檀家周りで流石に飲み疲れ、肝臓疲れ、これが最盛期で次第に檀家を整理、4~5件まで減らしました。

以下思いだすままに訪問したお店の具体名を記します。

 ②郷土料理の店「屯田の館」確か狸小路7丁目(?)にありました。

 ベルボーイでチップが順調に入りだした頃、先輩から受け継いだ郷土料理店だけでは飽き足らず自分で開拓しようと考えました。

お客様にご案内する郷土料理店(狸小路7丁目にあった歴史ある居酒屋(氷雪の門?)、名前失念)を自分の目で確かめようとして狸小路6丁目で偶然屯田の館のオープン日にぶつかりました。

入り口で七輪で魚を焼いていた店の主(あるじ)に声をかけ入店、店内の雰囲気も良く観光客が喜ぶのは間違い無しと判断。

最初の入店日にグランドホテルのベルボーイと身分を証ましたがが店の主は信用せず、どこか別の郷土料理屋の偵察隊と思ったようです。それから3か月お店に行かず新婚客に「屯田の館」を紹介しまくりました。

紹介したお客様に、店の主はホタテ貝に札幌の景色を書いてお土産に持たせてくれました。

三ヶ月後お店に行くと主は大歓迎してくれました。

今はお店もありませんが、主はライラックの絵で著名な画家原賢司さんでした。

小生の結婚式にも出席頂いたり、お付き合いも続きました。

③クリフセブン

 七番館ビル7階の洒落たお店でした。

 開店後1~2年 繁盛店になるまで札幌グランドホテルとJALの関係者があしげく通いました。

ここで後タモリになる森田さんの新人時代をお見掛けしました。

④ポイントアフター

 今の東急インあたりにあったと記憶しています。

 ここでペテロ&カプリシャツの2代目ボーカル高橋真梨子さんと同じ席でお酒を飲んだこともいい想い出です。

 何故そうなったか不明、よく覚えていません。

⑤ジョージの城

 ここも芸能人が良く来る店でした。

ある時ほどほど酔いが回った頃、お店の一番奥にいた男性二人が歌いだしました。

相当酔っぱらっていた私にもただ物ではないと思いました。

なにせ唄が相当うまい、マイク無しで声がお店全体に響きました。

正体は初代のデユークエイセスのお二人、聞き惚れました。

 またある時は遠征に来てた中日ドラゴンズの一行とかち合いあました。

監督が(たしか高木監督?)帰りしなに、

「あしたこいつ先発なので23時には帰してくれ」との言葉。

ところが明日先発のかの選手はわれわれと同じ午前2時まで飲んでました。

 翌日札幌円山球場の三塁側ベンチ上で野球見学、当然私は営業の仕事は手を抜き野球観戦、御店の女性軍が黄色い声で、

「イナバさーん!頑張って!」

との声援空しく確か3回でノックアウト、このシーズンオフに阪急ブレーブスに移りましたが

ほどなく引退したようです。

⑥居酒屋禊ぎどり(漢字分からず)

ここは偶然入ったお店、元幕内の関取です。

お客様がいてもしょっちゅう店からいなくなります。

外出から戻ると

「何か飲んだ?」と極めていい加減です。

ドリンクは自己申請、間もなくお店潰れました。

料理はそこそこ美味しかったですよ。

⑦衣笠選手

0番地あたりにあったホルモン屋で午後6時頃、ススキノでがっつり飲むための腹ごしらえで食事している時遭遇、

それから8~9時間経過した翌午前2時くらい同じ店でまた偶然遭遇。

私もよく飲んだけど、衣笠選手も強かったですね。

⑧名前忘れたスナック4~5件又は半分クラブの雰囲気のお店の女性達

お店の女性に誘われ店終了後食事に行きました。

私は例によって酔っ払い状態になり到着したお店で睡眠タイム、同行した女性に何度か叱られました。

「あなたって肝心なときだめね。」と寝てしまった不始末を叱られました。

今では考えられない失態!なんともったいない!

(この項はカミさんに内緒)

⑨飲み始めた頃すすきのにはカラオケがありませんでした。

やがてカラオケ登場、お店の女性が私に対し「カラオケでなにか歌いませんか?」

あとは会話無し、そんなお店がまん延、やがてススキノに飽きて飲みに行く機会がだんだんなくなりました。

⑩スナック「日吉」

高校の同級生がママさんのお店、サラリーマン生活最後の頃は殆どこの店で終了。

確か60歳のころ、高校同期会の二次会で日吉に行きみんなで歌った「高校三年生」が想い出の唄

私の高校の校歌は暗くて同級生のほとんどが歌えないのでした。

お店は全部で20人位で超満員、この時みんなで歌った「高校三年生」が一番楽しかったなあ。

 

 

去年の11月コロナも落ち着き4年ぶりに同期会開催したが日吉も店閉めていたし、高校のマブの友達も天国に逝ってしまうし

今は滅多にススキノも行きません。1年で1日か2日ススキノ行くか行かないかです。

⑪ススキノ0番地の近くに「若島ビル」(うろ覚え)がありました

ここはその昔クラブに勤めていた女性がクラブを辞めた後自分のお店を出したビルで有名。

ここにも5件ほどボトル置いたけど店の名前全部忘れた。

⑫ススキノではないけど北3西3あたりに「居酒屋太郎」がありグランドホテルに居た頃30歳~33歳頃まで

毎晩のように通った店です。お店のママさんから、

「伊東さん、うちの店にタイムカード置くかい?」と言われる位通った。

京王に会社変わるまでの3年間くらいは常連を通りこえてました。

その3年間、札幌グランドホテル宴会販売部の忘年会は「居酒屋太郎」でした。

確か12月29日、お店も正月4日からの営業で29日はお店の在庫整理です。

1人1000円で食べ飲み放題です。

楽しかったなあ。

30日から5日間休みです。

心置きなく食べて飲んだ。

 

 お店に居た現亭主が小学生の頃からの客でした。

その小学生1年生くらいだったのが今では40歳を過ぎです。

私も当時32~33歳位、その私も今では76歳です。

なんとまあ時の経つのは早いものです。

当時一緒に太郎に通ったメンバー4~5人のうち3人は天国へ行きました。

私もこの1月脳内出血になりましたし案外お迎えがすぐそこまで来ているのかも。

 

しかしススキノって不思議ですね。

昼間ススキノにいって、当時良く通ったお店はどこにあるのかおぼえてないのに夜暗くなってから何故かお店にたどり着くのです。まったく不思議?

これ以外100軒(多分超)は超えているのに殆ど忘れました。

ただ今のススキノはつまんないな。(年取った証拠です)

又思いだしたら書くかもしれませんが、とりあえず今日はこれまで。

又ね。