初優勝の立役者に黒江助監督も上げたい。
 
 彼は小学時代、家業の精米ローラーで右手人差し指を第一関節から無くしている。後遺症で球を投げるたびに指先から出血。薬指も使った独自の送球法を特訓して取得した。高卒間際に父の会社が倒産。就職した会社も業績不振で廃部。結婚後も生活が苦しく妻が内職で家計を支えた。
 
 巨人入団後V9に貢献したが、セリーグ選手会長を務め、選手の待遇改善に奔走。球団側からかなり煙たがられた。引退後巨人・中日・西武・ロッテでコーチを務めた後、王監督の要請で98年、助監督に就任した。 
 
王監督就任後3年間は成績が低迷し、負ければ長時間のミーティングが行われる等、暗い感じの雰囲気が続いていた。帰りのバスも誰も口を開かず、お通夜の様な状態だったという。 
 
「ワンちゃんを男にする」そう宣言して助監督に就任した黒江氏は「この暗いムードを変えないと」とまず思ったそうだ。皆を集めて就任挨拶を行っている最中、熱弁のあまり差し歯を二度にわたって飛ばし笑いを誘う。 
 
試合前のハニーズに熱い視線を送る。ダンスの動きに合わせて自分もリズムをとり、それを見た選手たちがクスクス笑う姿と一緒に球場の大型スクリーンに映し出され、球場全体が笑いに包まれた。 とにかく黒江助監督の周りには、笑顔が絶えなかった。それまで、距離が感じられていた首脳陣と選手が、助監督のお陰でグッと近づいたような気がした。「優勝できるかも」そんな期待を抱かせるようなベンチムードの変化であった。 
 
春のキャンプの声出しで「優勝したら冥土の土産に胴上げしてくれ。」と話していたが、優勝後の監督の胴上げに続いて、選手たちが「冥土の土産!」と言いながら胴上げされたのは、選手からの感謝の気持ちだったのだろう。 
 
「僕らの仕事は、チームがピンチの時にどうするかなんです」名参謀は試合劣勢の時、円陣でムードを一変させる声かけを得意とし、直後に逆転するシーンを何度も観た。 
 
チームには厳しさも必要だが、それと同じくらい明るさも大切だ。 助監督の明るさは、人生の逆風を乗り切る過程で身に着けて来たもの。 
 
そういう明るさは非常に強く、チームを度々救ってくれた……