選手として三流、監督として二流、GMとしては無双。

 

根本氏は、法大卒後、近鉄に入団するが、選手としては芽が出ず186試合出場で引退している。特筆すべきは、広島・西武・ダイエーで監督を務めたが、いずれもBクラスのチームを預かり、自ら去ったあと数年後に優勝させている。すなわち、チームの基礎作りが上手かったのだ。

 

広島時代は、関根や広岡という名コーチを呼んで、衣笠・山本浩二といったのちのスタープレーヤーを育て、チーム初優勝につなげた。西武時代は、田淵・山崎・松沼兄弟・石毛・秋山・工藤らを「根本マジック」で次々と獲得、後任監督に広岡・森を置いて黄金時代を作っている。彼のチーム作りの秘密は「人集め」にある。多くの選手・コーチが彼に説得され、彼の周りに集まってくるのだ。

 

ダイエーでは、石毛・秋山・工藤を再び呼び寄せ、天下の王貞治まで連れて来てしまったが、根本氏の持つ何が彼らを惹きつけたのか、日大三中と近鉄でバッテリーを組んだ関根潤三氏が次の様に語っている。「根本は、情に厚いんだ。声を掛けた人間は最後の最後まで面倒を見る。自分がスカウトし、例え、そのチームで上手く結果が出せなかったとしても、必ず再就職に手を尽くしてくれる。だから、多くの人が安心して自分の人生を彼に預けるんだ。自分が選手として成功しなかったから、選手側が抱いている不安を良く分かっているからなんだろう。」一流選手が指導者として苦労する中、選手として三流だったからこそ、GMとして無双になれたのかも知れない。

 

『王監督で初優勝しON対決実現』というライフワーク達成に奔走し、選手との間に立ちチームを再建していた最中、99年4月30日急性心筋梗塞で死去。初優勝の直前だった。

 

99年のチーム成績は、打率がリーグ4位、本塁打数3位、打点4位、防御率4位。普通は優勝できる数字ではない。ところが、サヨナラ勝ち12回でリーグ新記録を作るなど、劇的な試合を次々に勝ち取り、神掛かり的な優勝につなげた。

 

根本さんが、天国から力を貸して下さったのだろ。。。