イタリア人の人物評価で、一番重要なものは

「その人は、親しみ易いか?」という事です。


イギリス人が、「彼は紳士的か?」

ドイツ人が、「社会規範を遵守出来る人か?」

に重きを置くのとは、対照的に、

人生を「明るく楽しく」暮らして行くべきだと考える

彼らにとっては、「みんなと仲良く出来る」事が

非常に重要な要素なのです。


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この点で、ACミランの本田圭佑は、かなりハンデを

背負っています。


日本人の中でも、かなりストイックな部類に入る彼は

試合後のインタビューなどでも、「不愛想」に見えることが

よくあります。


「試合で結果を残し、チームを勝利に導くことが

プロとしての唯一の存在価値」と考える彼にとっては

フリーゾーンでのイタリア人記者たちに、愛想良く対応する

事は、それほど重要なことではないのでしょう。


「男は黙ってサッポロビール」

昔、三船敏郎さんのテレビCMで、そんなのがありましたが

日本人の男性には、

「べらべら要らない事はしゃべらず、寡黙に仕事をし

そして、結果を出す・・・」

そうした「美学」が、あるいように思います。


本田にも、そうした日本人特有の「理想の男性像」が

根底に流れているのでしょう。


ところが、この態度が、今彼を窮地に追いやっています。


我々日本人が見ていると、彼のプレーは、それまでの

モスクワでの試合にも、日本代表としての試合にも劣らず

ACミランが決定的なチャンスをつかむシーンの多くは

彼の「ファンタジスタ」としてのアイデアが起点になっているように

見えます。


背番号10に相応しい活躍をしている様に見えますが

翌日の報道をみると、イタリア各紙は彼を相変わらず「最低点評価」し

中には、先発から外せ等という暴論を載せる新聞もあります。


普段の本田の態度が、現地マスコミのメガネを曇らせて

しまっているようです。


人は、人の欠点を探し始めると、長所は全く見えなくなるといいます。


それは、まるでイチローが海を渡ったとき

彼の、やはり孤高な修道者としての態度が、

シアトルの報道関係者から違和感を持たれて見られていた

時の様な感じがします。


「日本から王様がやってきた・・・」


当時の向こうのマスコミは、イチローを評して書いたものでした。


しかしながらも、プロは実力の世界・・・

イチローが、他の誰もできないパーフォーマンスで

批判を封じ込んでいったように、本田もその実力で

彼らを黙らせるしかありません。


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同僚でインテルに入団した長友佑都が、持ち前の明るさで

イタリア人社会に溶け込み、以前中田英寿がイタリア語を勉強して

現地マスコミとの関係に気を配ったのとは、好対照になってしまった

感がありますが、


ここは、彼が自らの特徴を生かして突破して行かねばならない

壁なのでしょう。


同僚のマリオ・バロテッリも、決して「親しみ易い」性格ではありませんが

その「圧倒的な」プレーで、マスコミを沈黙させています。


実際、先週の日本代表のニュージーランド戦では、

三点目をアシストした本田のヒールパスを、ミランのスポーツ紙などは

「HONDA HOUR!!」と評価していました。


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「イタリアの至宝」といわれるピルロが、かつて「魔法の様な」キラーパスで

ミランの攻撃陣を自由自在に操っていたように、


我達が本田圭佑が、ミランのトップ下で芸術的なパスを連発する

姿を早く見たいものです。。。。。



井崎