娘と将来について話をすることがあった。

 

娘は今年高校卒業で本当だったら、家から離れた大学に行く予定だったがコロナの影響で地元の学校に行くことになった。ただ、その授業もオンラインになる可能性が高く、それだったら、事態が落ち着くまで、働いたり、別の所に住んでもいいんじゃない?という話をした。すると娘は日本に住んでみたいという。それはそれでいいのだが、ふと昔の私を思い出した。

 

私は地方の何の変哲もない小さな町に生まれ育った。それこそ、近所の人が皆顔なじみ。私は近所の人に全てを知られているかのような閉塞感が嫌で物心ついた時から、高校を卒業したら絶対にこの町から出て行くと決めていた。

 

そして無事大学に入り上京。それなりに楽しい大学生活を送って、就職、結婚した。でも、今考えてみたら、就職、結婚してからも、その時の状況で幸せを感じられず、「もう少し仕事ができるようになったら」、「子供ができたら」、「家を買ったら」、「子供の成績がよくなったら」、「自分にやりがいのある仕事が見つかったら」、「子供たちが大きくなったら」と幸せはここにはなく、常に何かを成し遂げたらその先にある蜃気楼のようなものだった。一つのことが成し遂げられても、幸せになるはずだったことも忘れ、次の目標をたて、幸せになるのを自分で延ばし延ばしにしていた。

 

若い頃は目標に向かって努力して成し遂げることもあったが、大人になっても常に走り続け、充実感、満足度からは常に枯渇し、何で幸せでないのかと自分や周りを責め、生き辛さを感じていた。

 

人生とは一瞬一瞬の積み重ねである。その時幸せ(ほっとする、安心する)を感じることができなければ、その先幸せを感じることはない。

 

ある本で見かけ、ハッとした。幸せとは何かを成し遂げればなれるものだと思っていた。

 

だから、自己啓発系や引き寄せの法則でよく見かけるのだ、感謝こそ幸せへの一歩だと。今、ここにあるものに感謝する(幸せを感じる)ことによって、結果的に幸せになっているのだ。そして、自分の望んでいたものも実現されている。

 

幸せとは心の在り方だった。