カレンダーをまた一枚めくる。

新しい図柄と共に、酷暑の長い夏になりそうな七月が始まった。

 

息子の嫁の母親は、まだ病院のベッドで眠り続けている。

衝撃の、救急搬送の日から、二か月が過ぎた。

意識が戻らない人って、何にも考えてはいないのだろうか?

伝えられないだけで、

心の中では思うことがあるのではないだろうか?

などと、わけがわからない心配をする。

もし、彼女が考えてることがあるとしたら、

それはきっと、自宅に一人残されたお父さんの事に違いない。

 

主婦の、妻の、鑑のような人だから、

お父さんの日々の暮らしが、自分ナシでは成り立たない事が

一番心配なはずだ。

倒れたその日、何の予兆もなく、

夕飯を終えるまではいつもの日常だったという。

突然の悪夢のような事態に、

お父さんの動揺は察するに余りある。

それからの日々を思うと、胸が痛む。

 

今日、同級だった友人から写真が送られてきた。

息子さんの家族と一緒に旅行したらしい。

お孫さんはまだ小学生。

楽しそうな食事風景や、かわいいおふざけの表情など

眺めているとこちらまで幸せになる。

しかし、これが一つでも歯車が狂うと

こうはいかなくなる。

家族全員が条件を満たしてこそ

幸せは演出できるのだ。

努力だけでは何ともならない部分があるのは

否めない。

何が起きても受け入れるしかない年齢。

そこに来てしまったのを痛感するこの頃だ。