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今回は、春に『山の辺の道』を歩いてきました。
『山の辺の道』は奈良の万葉まほろば線の『天理駅』と『桜井駅』の間の東側の山のふもとをてくてく歩くハイキングコースで、途中田畑有り、雑木林有り、民家有り、小川が流れ、小高い所から古墳を眺め、そこかしこに無人野菜や果物を売っている屋台のようなものがある...何とも長閑な散歩道です。全長は約16kmあり、ブログ管理人はそこまで歩き続ける自信はないので、途中駅の『三輪』から『柳本』まで(たった2駅分
)を歩きました。
まずは大神神社(おおみわじんじゃ)にお参りします。
大神神社は、日本最古級(多分最古なんだろう。)の神社で、記紀(古事記、日本書紀)によると第10代崇神天皇(在位は古墳時代である3世紀後半~4世紀前半)の時代に疫病が流行り、三輪山に大物主大神を祀ると国が平定するだろう。と出雲の大国主神が聞いて、山に大物主大神を鎮まられたのが大神神社の始まりで、祭神は山体の大物主大神。なので本殿というものはありません。拝殿はあるのですが、拝殿を通して山に向かってお参りします。年間を通してたくさんの方がお参りします。
また、大神神社の特徴的なのは、拝殿と神の山の間に結界として三ツ鳥居が設けられていて、この三ツ鳥居は明神型の鳥居を横一列に三つ組み合わせたもので、いつ設けられたのか分からないそうです。
拝殿とともに重文
拝礼は『二礼二拍手一礼』。
大神神社を出て、三輪山のふもとの参道を30分程歩いていくと『桧原神社(ひばらじんじゃ)』に着きます。
桧原神社の鳥居も三ツ鳥居(2015年に建て替えられました)です。
祭神は、天照大御神で、元伊勢といわれています。崇神天皇が宮中に『天照大御神』を祀るのは畏れおおいということで、『天照大御神』を豊鍬入姫命(崇神天皇の娘)に託し各地(近畿~中部地方、諸説あり)を転々と遷地してやっと第11代垂仁(すいにん)天皇(4世紀)の時代に伊勢神宮内宮に『天照大御神』をお祀りするに至ったそうです。元伊勢はその遷地なった地や神社を指します。
桧原神社を過ぎて山のふもとの雑木林を抜けていきます。
途中、湧き水?場
しばらく行くと下り坂になり、視界がひらけてきて田畑や集落がある里に着きます。里もJR万葉まほろば線より標高が高いので結構見晴らしがいいです。
そこかしこに無人野菜販売所(屋台のようなところ)があって、そうめんのふし(ここは三輪そうめん生産地)や山菜、春野菜が売られています。ついつい安いので、ハイキングに来たのか買い物に来たのかわからない状態になります![]()
。今回は1パック200円のいちごを三輪駅近くの八百屋さんで買いました
。甘かった
。
と、ブログ管理人が無人野菜販売所の誘惑にかられながら歩いていくと小山のようなものが見えてきました。
小山ではない
古墳です![]()
『渋谷向山古墳(景行天皇陵)』
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第12代天皇。第11代垂仁天皇の第3皇子。記紀によれば、地方豪族の討伐に積極だった人で、国を平定するために、九州の土蜘蛛、熊襲や東国の蝦夷を征伐したそうです。
宮(皇居)は纏向日代宮(まきむくひしろのみや)。晩年は近江国に行幸して志賀高穴穂宮(しがのたかあなほのみや)に滞在したらしい。
しかし景行天皇も考古学的な証拠がなく実在性に疑問符が打たれているようです(諸説あり)。
そもそも720年に日本書紀(その前から編纂されていた『帝記』や言い伝えをもとに)が編纂されたのですが、その時に初代天皇である神武天皇(天照大御神5世孫・諸説あり)の即位を、中国の辛亥革命説にあてはめたものだから、紀元前660年(弥生時代初期?)となり、その後の第2代天皇綏靖天皇から第9代開化天皇までは欠史八代と言われ実在しないのが定説になっています。また第10代崇神天皇は大和王権の初代大王と言われておりますが、その後第26代継体天皇(507年即位)までは考古学的に証拠が見つからず実在性に疑問符が付く方々がおられるようです(諸説あり)。
また、江戸時代までは古墳への行き来は普通に行われていた(盗掘もあった)ようですが、明治になって天皇を中心とする国作りを進めるにあたり天皇の権威を上げるため天皇陵と言われる古墳を治定し宮内省(現在の宮内庁)が管理することになりました。そのため古墳に立ち入ることが禁じられ柵が設けられ、古墳の学術調査に入ることもかなり規制が厳しくなりました。まぁそのおかげで現在も古のままの古墳を見ることができるのですが、古墳時代の日本の歴史はなかなか解明できないのも事実ですね
。
現在日本には16万基の古墳がある
ようですが、そのうちの120余りの古墳が宮内庁管理下に置かれています。
景行天皇の墓やなかったら誰の墓やねん?最近、第16代仁徳天皇陵も時代考証で?大仙古墳(第19代允恭天皇?)って名に変わったし…。
見晴らしがいいという看板があるのでその矢印に従って坂を少しあがる。
右から耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)とさらに左に纏向珠城山古墳群(第11代垂仁天皇宮都)が見えます。このJR巻向駅を中心に巻向山の北麓を水源とする巻向川の扇状地、南北1.5km、東西2㎞に2世紀末から3世紀(弥生時代末期~古墳時代前期)に造られたのが纏向遺跡で、邪馬台国と比定される説があり、その中の日本最古の大型前方後円墳である『箸墓古墳(箸墓をもって古墳時代の幕開けとされる)』は卑弥呼の墓ではないか?と言われてきました。
しかし近年の調査で、纏向は大和王権のあった場所(通説)で、邪馬台国との関係するものが見つかっていない、また『箸墓古墳』は現在宮内庁によって『大市墓(おおいちのはか)』として第7代孝霊天皇の皇女である倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)の墓に治定されていて古墳自体を調査されたわけではないが、周溝の調査では卑弥呼が没した年代より新しいという調査結果で出ているようです。だからといって『邪馬台国九州説』であるというほど邪馬台国という遺跡や卑弥呼の墓に比定出来るようなものが九州で発見できてはいないようです。
『纏向遺跡』は、大型建物や川の護岸工事、祭祀、政を行うために突如として造られた都で、初代天皇は第10代崇神天皇とされています。しかしこの『纏向遺跡』も4世紀には急速に衰退したようです。
これは、
①宮都遷移
②王朝交替
③その他
戦争や自然災害、疫病の流行などではないようです。
592年(崇峻5年)第33代推古天皇即位した飛鳥の宮(最近、世界文化遺産になりましたね![]()
)まで都は近畿地方を転々としたようですが、王朝の流れとしては第26代継体天皇(507年即位)から現天皇(今上天皇という)までは血縁関係が認められるそうですが、それまでは豪族の権力争い等王朝交替説を支持する学者も少なからずおられるそうです。どちらにしても1500年以上万世一系、日本の天皇のような存在がこれほど長く続いてきた歴史がある国は他にないでしょう。
景行天皇陵を後にして歩き始めると、また古墳が…。いずれも正面ではなく裏から撮られた写真でごめんなさい
。
こちらは『行燈山古墳(崇神天皇陵)』。ほぼ崇神天皇陵に間違いないだろうと言われてるようです。
この辺から北にも大きくはないですが古墳がたくさん見られます。
ブログ管理人は、『長岳寺』をお参りして、山の辺の道を後にして、帰路のJR万葉まほろば線『柳本駅』に向かいます。
長岳寺の桜
写真にはないですが、その道すがらまたもや『古墳』を発見。
『黒塚古墳』
築造されたのは古墳時代前期初頭で、3世紀後半だそうです。
ここの古墳が一躍有名になったのは33面の三角縁神獣鏡が発掘されたことです。この三角縁神獣鏡(銅鏡は三角縁神獣鏡のほかにもいろいろ種類があるようです)は卑弥呼が魏から貰ったとされる銅鏡で、卑弥呼の墓ではないかといわれていた箸墓から近いことから邪馬台国近畿説に大きく傾いた経緯があります。残念ながら、三角縁神獣鏡は近畿を中心に日本各地で400面ほど見つかっており、最近日本でも作られていたのではないかといわれています。
纏向遺跡にしても発掘調査できているのはほんの1部であると言われています。
邪馬台国にしても永遠の謎ですね。
まぁブログ管理人は、秋にもう一度お買い物に訪れたいと思います。










