最後に泣いたのは彼女がギターを弾いてくれたとき
散々なコード進行、手足の揃った演奏で終始手探り状態だったけれど、何より楽しそうに歌っていた。歌い終わると、我が物顔でドヤァしていて尚悪い気はしない。誰の曲だろうと、赤の他人がが歌えばもうそれは別ものだ。都市から外れた小さな駅舎だって、自分の街のそれを「市駅」って呼ぶように。皆んな使う理由は様々だし、通う人によって駅舎の姿形も違う。肯定するよ。
だけど、泣いてしまったのは物覚えが悪い彼女に対する親心に似たものだろう。コードと抑える指をイコールで捉えない上、譜面も描かないからじれったいことこの上ない。そんな彼女が歌った歌は先に述べた通り、他愛もない誰かのカバーで、誰に宛てた失恋ソングだった。そういえば誰を思い浮かべたんだろう。でも聞かない方がいい。
譜面は書くものだ。目で追って、身体や血肉に通うものが必ずある。視覚的に文字に起こすことは大切で、今書いている文字はデジタル化されて他人行儀になってしまうけど、直筆で書いた文字には愛着が湧く。歌詞を忘れてしまうのは物覚えが悪いせい。あれ。
でも彼女の歌にはその発想も、机に向かう気概もない。ただ身体の中にあるものを口から吐いた だけで、僕が歌うそれとは全く異なる手法だ。呼吸のように、終始手探りだからこそ、彼女を感じ取れた。模範にすべきだと思った。