ある晩のこと。

嫁がブロッコリーの茎をサラダに入れていた。
上司の洗脳でブロッコリーにハマって良く買っていたのだけれど、頭の部分しか食べていなかったのを勿体無いアンテナが捉えたのだ。某レシピサイト曰く、茹でたら食べられるそうで、役目もなく捨てられる茎が食卓に出た。

ちょうどアイドルグループの枝別れした妥協団体を見るような気持ちでそれを見おろした。食べれんねやろか、と思いつつ一口。アボカドみたいな、どろっとした食感。舌触り。苦手な感覚だった。嫁に悪いと思いながら、残りを食べてもらった。渋々箸で茎を運ぶ。やっぱり美味しくないんかい。

一物全体食という言葉を教えてくれたのは、キューピーの3分クッキングだったと覚えている。車校(関西では自動車学校というらしい)の待合室で、首を痛くしないと見られない角度にあったテレビから垂れ流しにされていた。早起きが三文の徳だと言うのを知るのは大分後になってからになるので、当時はお昼以降にしか家を出なかった。それでも何度も寝坊をしたので、バス停留所のコンビニで誰も乗せないバスが騙されたみたいに走り去っていった。注意勧告もあった。

野菜は全部食べられる。葉も茎も身も花も根も。僕らの知らないところで、決して食べられるために大きくなったはずのない栄養がたっぷりしてられている。葉で呼吸して、茎を通して身に血肉を与え、花を咲かせて種を落として、子孫を残す。人だけが人以外を人と思わないのはどうしてだろうか。豚は豚以外を豚だと思わないのかどうかは答えてくれないから分からないだけかもしれないが。

つまるところ、僕は誰のために生まれてきたのか。この身体は何を成すために成長したのか。生まれた時から死ぬまでが親孝行だと親バカな親は言うけれど、それは一方通行な愛情で、子の心親知らずである。

手。君の髪を撫でるため。君の手を引くため。君を犯すため。

足。君を追いかけるため。君の跡をつけるため。君の足を小さいと比べるため。

胸。君を抱きしめるため。君を抱くため。君の胸をやらしいと思うため。

腹。君の足置き場。

背中。君に未来を示すため。君を背負うため。君の背中が綺麗だと思うため。

顔。君の気を引くため。君と話すため。君を犯すため。

つまり、君に食べられたいんだ。