魔女には息子がいる。


一人は結婚してもう子供もいるが、もう一人は不登校児だった。


中学1年の夏休み明けから彼は突然学校へ行けなくなった。

柔道部へ入って楽しそうに部活に行ってたのに、新学期が始まるや否や、酷い頭痛が始まり、吐き気まですると言って。

最初、頭痛なんて薬飲めば治ると軽く考えていた魔女だったが、寝込むほどひどい頭痛は毎日ずっと続いてとうとうそのまま引きこもりになってしまった。


いじめはなかったという。


それでも最初は母と子の会話はあって、お菓子作りが好きな魔女を見ていた彼は、時々クッキーやケーキを焼いたり、ふたりで映画を見に行ったりしていた。

それも彼が高校生になる頃にはなくなり、親子関係も破綻した。

母と兄には鋭利な刃物のような反応しかしてくれなくなった。

それでも、通信制のサポート校には週2くらい通ってくれて、高卒の資格は取ってくれたのだが、卒業するとそのまままた引きこもりに戻った。


転機が訪れたのは、彼が一般に社会人と言われる歳になった時だった。


当時住んでいた家は、離婚した元夫の家族の持ち家で、息子が社会に出るまでは住んで良いとの許可をもらっていたのだが、もう23歳になったんだから出ていけとある日突然言われた。


社会人になってないのに?

息子は血縁の家族に捨てられたのと同然だった。

この子の父親は、出ていくことに何の援助も口添えもしてくれなかった。


引っ越しをしなければならないと悟った彼は

会話が破綻していた母に向かって言った。


「死のうかなって・・・」


母は久しぶりに息子の手を握って、握ったまましばらく怖くて泣いた。

吐き出さずに自死されるよりははるかにいいけれど

それでも自分の息子から死ぬという言葉を聞くのは母親にとっては少なからずショックだった。

そんなこと言って、本気で死ぬわけねーじゃん、という人もいたが、それまで会話をしてこなかった人間に吐き出すほど苦しんだということは紛れもない事実だと思う。


生きるしかない。

生きていくために引っ越すのだと彼を説得した。


魔女は、友達を頼って見知らぬ地を新天地と決めた。


仕事も何もないところへ行くから、二人と1匹で6畳一間の部屋しか探せなかった。


10数年住み続けた家にはたくさんの物があって、それを全て捨て去って、本当に必要な身の回りのものだけにするのに、恐ろしい労力を使った。

魔女はそれだけで疲れ果てて、周りのことに心を砕く程のゆとりはなかった。

人間関係のいくつかは破綻して、人も、物も、必要最低限のものだけになった。


息子は頑張って引っ越しについてきた。


そのまままた引きこもるのかと思っていた彼は、なんとひと月後にすぐ近くのコンビニでアルバイトを始めた。

出たこともない、やったこともないことに一歩踏み出す勇気がどれほどか。

魔女は自分の息子にそれほどの勇気があったことに驚いた。

喜んだ。


最初短かった彼の勤務は、だんだんと長くなり、1年後には自分で社会保険をかけられるようになった。


ところで当時二人で住んでいた6畳一間のアパートは、非常に安かったが、非常に古かった。


そうして二人で何とか新生活に慣れた頃、突然取り壊し通知が来たのだった・・・。