道の駅で買った卵
これで至極の卵かけご飯だ
人と科学で変化を促す
そしき変容のプロフェッショナル
サクゾーこと、作井大介です
先日行った道の駅で
いろいろと買い物をしてきた
珍しい野菜に筍にお茶
そして良さげな卵
昨日は筍ご飯を堪能して
今日は卵を食べる
シンプルなものほど素材が勝負
調理を必要としない料理は特にそう
卵とご飯と醤油
ほんでちょっとのごま油
疲れた体にはこれが染みる
こういうのでいいんだよ
連日美味しいごはんになって
奥さんには感謝しかないが
生産者の方々にも感謝しなきゃ
罰が当たるレベルだな
農家の方々に畜産業の方々
それぞれのプロの業があって
それが食卓に届いて
今日のご飯が最高になる
専門性ってのは素材みたいなもんで
その質をいかに高めるかが大事だけど
それをサービスにするってのは
料理みたいなもんなんだろうか
相手の食べたい料理を出す
自分は医療の専門性があって
それ自体を売りにしている
それは良い
そこまでは良い
それをサービスとして提供する場合
何かそのまま出してやしないか?
オムレツが食べたい人に対して
卵を持っていくみたいな
オムレツを食べたい人なら良い
一旦良いとする
パスタを食べたい人にまで
卵を持って行ってやしないか?
とっても美味しい卵なんですと
売り込んだところで
パスタ食べたいんだけど・・・
となってたとしたら
悲劇しか生まれないよな
あるいは喜劇なのかもしれんが
相手が何を望んでいるかで
提供するものが変わるだろうし
素材の持ち味を生かしつつも
相手が価値を感じる形に変えないと
「商品」としては成立しないから
工夫の余地はけっこうありそう
自分がやりたいことを出すんじゃない
相手が求めているものを出す
何を求めているかは常に探りつつ
深く刺さる調理法を考える
それが専門性をサービスに変える
考え方じゃなかろうか
どう自分を活かしたら良い?とか
価値貢献したいのにできない、とか
自分の殻の中で考えてる暇があったら
相手が何を求めてるか探りに行こうや
多分答えは自分の殻の外にあるから
割って中身を料理しないといかん
素材をそのまま味わいたいって人は
多分限られた世界の中だけだよ
