あの事件があってから約2週間。
何もなく、淡々と時間が流れた。






しかし、父はお酒が入ると必ず「あの女(母)」の話をする。
「あばずれ」だの「腹黒」だの「ハイエナ」だの・・・・
最後には、「俺の人生棒にふったも同然・・・お前はあの女にそっくりや」と。

私は反抗期。
「うちも、いい母とは思ってないけど一応、自分を生んだ母親やけん、文句言わんでくれる?・・・・って言うか、過去のこと忘れるって言ったの誰よ。気分が悪くなる話、せんでくれる?」

「俺だって、こんな話ししたくないけど、言わな腹の虫が納まらんったい!あの女と結婚さえせんどけば・・・」
と、父は過去を振り返り後悔し始める。


「忘れるって言ったくせにそんなこと言うな!
うちだって、こんな家庭に産まれたくなかったったい。幸せな家庭に産まれたかったったい!」
と、父に怒鳴ってしまった。


父は、言ってはいけないことを・・・
力一杯の感情で私に浴びせた。





「じゃあ、死ね。」



本当に傷ついた。
どうしていいか分からなくなった。
自分の存在価値、理由。場所。

全てが足元から・・・・

物凄い音を立てて崩れていくようだった。
言葉も出ず、父の前から立ち去ることしか出来ず。

自分の部屋に篭って、声を荒げて泣き喚いた。
何かにすがりたい・・・
主の居ない私という身体が、「容」だけがあった。



友だちに電話した。

何でもいい。
何かで満たされたい。
少しでも居場所が欲しい。
存在を認めて欲しい・・・
私を・・・・

深夜、1時を過ぎていたと思う。
その子は、家を抜け出して来てくれた。
一緒にただただ泣いた。


涙で一杯になったが、何か・・・感情というものが「容」に入ってくるようになった。
 ・・・・半分ニンゲンの自分。そんな感覚。


 それから日々、このようなとこが起こるようになった。



 月日は流れ、高校に進学。
父との関係は相変わらず、傷つけあいの繰り返し。
しかし、仲のいいときもある。
学校に登校する時間と、父の仕事の出勤時間が同じとき、方向は逆なのに、駅まで送ってくれることがあった。

・・・が、少しずつ運転が遅くなっていた。
中央線ギリギリというより、右のタイヤが中央線を踏んでいるような運転をするようになった。
夕方、対向車のライトが「まぶしすぎる」と、手で覆うようになる。

何かがおかしい。とは思っていた。


高1、中間試験の頃。

父、右目失明。




『糖尿病網膜症』







 このとき、父が私にとって一番の存在だったことを知った。
真っ白になった。
憎かった父を、腹立たしく思っていた父を「大切」と思った。

 症状は私の高校合格が決まった頃くらいかららしい。
あの運転は、そのせいだった。
 
手術日が決まった。
中間試験の2日目だった。

 結果は、1.2の視力が、0.8に落ちたが、見えるようになった。
私は、数学「6点」史上初の一桁。
・・・・もちろん、父には言えなかった。



 父のために、糖尿病食を作るようになった。
あまり強制すると、父のストレスが溜まる。
だから、私が料理を作りたいから・・・
という感じで作っていた。

 急に、お互いが、お互いを思うようになった。
親子だから、当たり前のことのはずが、なんだかぎこちなくて、笑えた。
 そんなこんなで父と2人3脚。やっと、親子と呼べるくらいまで、互いの傷が癒えたとこだった。







 ある日、母の愛人がちびを連れて、家に来た。
しかも、父を尋ねて。

父は一瞬にして頭に血が昇り、相手の胸ぐらを鷲掴み。
「お前、どの面下げて来とるとや!」
と。

 大の大人が、子どもを目の前に大人気ないことをしている。
この間に入って、場を和めなければ。
そう思い、どうにか2人を宥め、居間に座らせた。

どうやら、母の愛人は、ちびの親権を自分に譲って欲しいと交渉に来たようだ。

・・・・・

父は、快く引き受けた。






 それから、2年後。

 私は、父の元から離れたいがために、わざわざ北九州にある学校を選び一人暮らしを始めた。

 帰省することを父に連絡すると・・・

 スーパーの総菜売り場で、これでもかというくらい、出来合いの料理を買って私の帰りを待っている。
帰ってくるなり・・・・
「お前がビール飲むやろうと思って買っとったぞ。
新製品があったけん買うたばってん、うまいかどうかわからんぞ。
あと、冷蔵庫に、刺身が入とろうが。お前が好きやろうけんと思って。刺し盛りにしとったぞ。残ったらお父さんが食べるけん。」
と。

 たくさんの料理が、食卓を囲む。

宴は、私と父の2人だけなのに。

パーティーでも始まりそうなくらい・・・・・

 これが、父の最大の愛情表現だった。
(今更分かったことだけれど・・・)

 お酒のせいか、父は気分が乗って、行きつけのスナックへ行くことに。

 初めてだった。
父が私に
「スナック行くぞ。ママにお前を紹介せんとな。」
と、言ってくれたのは。





 カランカラン・・・・



店内は薄明かりで、ミラーボールの光が辺りをチラチラと照らし、緩く回っていた。有線は70年代の歌謡曲。

「けんちゃん、いらっしゃい!
今日は、けんちゃんの可愛い恋人が一緒なのね。ちょっと嫉妬しちゃうわ。」

小さい小さいスナックだった。
ママと、バイトの子が2人。

ママはそう言うと、カウンターを案内し、
父がいつも「自慢の娘だ」と私の自慢をしていることを話し出し・・・父は、テレくさそうに話を逸らした。

「ママ、歌!歌!!俺の18番入れて。」

父がカラオケで歌うのをを初めて聴いた。
 私は、父の好きな百恵ちゃんをうたった。

「ごめんな・・・今まで辛い思いさせて・・・・」

ボソッと、父は言った。
帰り。父はかなりのご機嫌だったようで、いつもよりだいぶ飲んだらしく、足元がふらふらになっていた。


 しかし、嬉しかった。
父と、酒を交わせるようになったこと。
ママに紹介してくれたこと。
「自慢の娘」と思ってくれていたこと。

 その日は、夢見心地で眠りに就いた。


帰省するたびに、父の愛情表現は大袈裟だった。



続く。

うちの父。


はい。

昭和32年3月8日生まれ。
典型的B型の根っからの九州人。

名前は、憲輔。
はい。私のお父上でございます(笑)。

ここまで引っ張ってすんません。
この間は、母のことを書いたので。


 現在は、八幡(北九州)の山の上にある市営住宅に一人住まい。仕事は、していない。

・・・・豪華ではないが、障害者保険でのほほんとした日々を送っている。
たまに電話すると、

「どうしたとか?生活できとるか?仕送りせんでいいか?」

と第一声は始まり、

「昨日、お父さんリュックからって街まで下って買い物行ったらくさ、5kgの米、2990円が2490円の500円引きになっとたけん、米は足りとるばってん、買うてしまったったい。
そしたらなんの、帰りがけキチぃ、キチぃ。往生したばい・・・・」と・・・・
日頃、人と話す機会がないため、次から次に身の回りのことを話し出す。


 こんな仲良しになったのも極最近。
父の頑固が砕けたのと、私も少し大人になったからだろう。





 しかし、小さいときは、嫌いだったなぁ。






父は昔、かなりの巨人ファン。
・・・・御飯のとき、座る場所が決まっており、父はTVが良く見える場所に。私と弟はTVを背中に食卓を囲む。
 夜は、必ず野球観戦しながら晩酌する父は、熱くなり観戦しているので、ご飯を食べている私と弟は、その場がとても楽しくなく、空気の重い食卓だった記憶がある。
・・・兄は父と仲が悪く、自分の部屋で毎回、食事をしていた。

 私が小学3年くらいから母は、家で寝なくなった。
家に居るのは、父、兄、私、弟の4人。父が居ないとき、兄は私と弟に暴力を振るう2重人格だった。

 父が朝、仕事に行ってから帰ってきて、私たちに朝ごはんを作りどこかへ・・・・父が帰ってくる前に母は帰ってきて、ご飯を作って、どこかへ・・・
 父の給料(預金通帳・カード)は母が握っていたので、父はたまに仕事をズル休みせざるを得ないときがあった
・・・・・ガソリン代。
それさえなかった。

 両親が、本格的に離婚しそうな雰囲気になったのが小6の頃から。
母から「お母さんと、ちび(13コ下の父親違いの弟)と、正(2コ下の弟)と、おいちゃん(ちびの父で、愛人)と一緒に住まんね?」
と言われたとき。

 違和感があった。父が一人になるのはかわいそうだと思った。兄と弟は、母方へ。私は、父方へ。

 父が、何かの書類申請のため、住民票を取ってきたとき・・・
事件は起こった。


 載ってはいけない「ちび」が・・・・・・
父の扶養に入っていた。

 夕方。
 父は、家に帰ってくるなり

「お前はこのこと知っとるとかっ!
何かおかしいとは思っとったけど、何や!!これはぁ!!!
俺の子どもじゃないやつが、俺の扶養に入っとるやないかぁ」

と、怒鳴りだした。

何て言っていいか分からず・・・「知らん」とだけ答えた。


数日後、母から電話が。
「あんた、お父さんにマンションの場所教えたやろ。
おいちゃんと、お母さんが住んどるとこ。
今日、正が留守番しとるとこにお父さんが無理やり入ってきて、家財道具全部壊したとよ。
もう、おいちゃんがカンカンになっとるったい。」

・・・・・言葉が出ず。
父は、普段と変わらない様子だった。

 実は、2重人格兄に弟と私は都合のいい憂さ晴らしの人形のように扱われ、それに耐えれなくなったときに一時期、おいちゃんのマンション(松島)逃げて、そこから中学校まで歩いて通っていたことがある。
 学校からの帰り、父がそのマンションまで送ってくれたことがある。もちろん、愛人が居ることは言ってないが、それで母の居場所は見当が付いていた。

 
 何か、また大きな事件が起こりそうな予感がした。

母から電話があった夜。
私は、自分の部屋で、音楽を聴いていた。
・・・・・父が何やらいろんなところに電話をしていた。
しかし、父が電話をする先は決まっている。
 ・行きつけのスナックに行くときにママに連絡の電話。
 ・スナックに行くためにタクシーを呼ぶ電話・・・・
この2つくらい。

が、この日は何かが違った。

「このあばずれが!この・・・首を洗って待っとけよきさま!!お前がどんだけ俺の金を巻上げとうかわかっとるとや!!
他の男のこどもまで俺の金で育てやがって・・・貴様出て来い!!!殺しに行くけんな!!男と一緒に待っとけよ!!覚悟しとけっ!」


・・・・・



確か、こんな感じのことを電話に怒鳴っていた。






・・・・父を家から出したら、大変なことになる。
そう思った。




急に静まり返った家と父が、嵐の前触れを予感しているようだった。

父が玄関で、靴を履いている。

「どこに行くと?もう22時過ぎとるけん外行かんどきい。」

と、子どもながらに精一杯の勇気を出して父を止めようとした。

「・・・俺を信用しろ。お前にはお父さんしか居らんちゃけん。お父さんも同じたい。心配するな。すぐ帰ってくるけん。」

そう言って、父は静かに家を出た。


 しかし、手に汗が。
血が冷たくなっていく。父の帰りを待っている間、自分が自分でないくらい不安に襲われた。


どのくらい経ったのか・・・・


1本の電話が。

 なんとなく誰か・・・・・予想できた。




「・・・・お母さんたい。
あんた、無事ね?
お父さんが店に来て、暴れたとよ。
 お父さんが店に来る前、電話してきたとよ。おいちゃんが危ないと思って、店に避難させとったら、おいちゃんと殴り合いになってから・・・警察ば呼んで、やっと納まったけど、お父さん酷いことになっとるけん、あんた看てやって。
この間、マンションの家財道具壊されておいちゃん怒っとって、その仕返しにお父さんやられとうけん・・・・
警察が、お父さん送っていくって。」


母は淡々と話した。


父に裏切られた悲しみと、怒りと・・・・・・・
いろんな感情が入り混じって体中が振るえ、冷たくなった。

感覚がなくなるくらい拳を握り締めていた・・・・
何のための涙か分からない涙が溢れてきた。
 私は家中の鍵という鍵を閉めて、電気をけしていた。







 ・・・・・・・・バタン。 


車のドアが開閉する音が聞こえた。






「・・・・ごめんな・・・・・開けてくれ・・・・」

父の痛々しい声が聞こえた。

更に、涙が溢れた。
でも、許せなかった。

「ごめん。もうお前を泣かすようなことはせんけん・・・開けてくれ。」



何度も何度も・・・・・・

呪文のように聞こえた。

痛々しすぎて、聞きたくなくなった。


玄関の覗き穴から父を・・・・・


 見なければよかった。
頑固で、大きな存在の父の姿がなかった。

見れなかった。・・・・苦しかった。

実の父が、母の愛人にボロボロにされ、原形のない膨れ上がった顔面。

そして、私に泣きつく姿。



 玄関の鍵をそっと開けたが、私は自分の部屋に閉じこもった。




「ごめん。お父さんが間違っとった。今までのことはもう忘れる。本当にごめん。もう、何も無くなった。また、0から始めよう。お父さんとお前とで。
お父さんは、お前が、幸せに育ってくれればいいけん。お前を悲しませることはもうせんけん許してくれ」

と、何度も、私の部屋の前で泣きながら謝っていた。


続く。

うちの母。


うちの母はぶっ飛んだ母親でございまして・・・・

 小さい頃から、夫婦喧嘩(もちろんプロレス級の殴り合い)は日常茶飯事で・・・・

家に帰って来て宿題をせず、テレビばっかり見ていたら包丁の裏で頭をたたくような・・・暴力ババァ。

 私が小学2年くらいから、父が仕事に家を出た後、帰ってきて朝ごはんを作り、どこかへ行き・・・・父が帰って来る前に晩御飯つくりに帰ってきて、またどこかへ・・・・

というような母。

たまに、「お父さんに行ったらいかんよ!」と言われ、遠出の旅行をするときには、いつも同じおじさんが一緒・・・
 

 小学6年の夏休みくらい・・・
「面倒見とって!!」
と、赤ちゃんと哺乳瓶・紙おむつを私に預け、どこかへ・・・
父が帰ってくる前にご飯を作ったら赤ちゃんを連れて、またどこかへ・・・・




・・・・どこの子供だろう・・・・友達の子供かなぁ???
 








と、思っていたら父親違いの自分の兄弟・・・・

今まで「???」って思っていたことが子供ながら理解できてしまって・・・・流石にショックでしたねぇ・・・・

母親に長~~~~い手紙書きましたもん。

「おじさんが好きやけん、家にはちゃんと帰って来んちゃろ・・・お兄ちゃんとかうちとか弟のこと好かんっちゃろ・・・」
・・・・とか書いて・・・・


母の返事は・・・

2週間ほど私だけ完全に無視。

「えっ!その態度ちがくなぁ~~~~いぃ?!?!?!?」

とビックリさせられました。

まぁ、なんちゃかんちゃあって、母は家に全く帰ってこなくなり、中3の終わり頃・・・・

「お父さんにこれ渡しとって・・・」

と、渡されたのはなんと『離婚届け』!!

確かに、

「こんなに仲悪いなら、お互い好きな人また探したらいいヤン!子供の為に別れない方がいいやろう。っていうのは大人の勝手な都合やん!」

と思ってたけど、私が渡すことによって、離婚が成立することが何か嫌で・・・


 一時経って父に渡したら、

「これあの女に渡せ・・・」

離婚届のサインしてるのを持ってて・・・・心が苦しかった。


なんちゃらかんちゃらあって、愛人のおじさんは病気で無くなり・・・また、なんちゃらかんちゃらあって・・・・母親と絶縁の話も出ましたが・・・


今は、過去のことが無かったかのように仲良し。
 今日、あまりにも風邪が酷くなって母に連絡したら看病をしに来てくれ・・・・
 恋人のおいちゃんの話を楽しくペラペラしてて・・・人生楽しんでいるようでよかった。

 子供の頃、「絶対こんな母親になりたくない!」と思えたのが反面教師だったのか・・・非行に走らず、ここまで大きくなれたことには感謝+.゚(o☻ܫ☻o)゚+.  

 昔は嫌いだったけど、昔は昔だから!
やっぱり、いくら年をとっても、母親の前では、いつまで経っても子どものままだなぁと感じました!!

そう、13コ下の弟が22日小学校の卒業するんです!
この弟が丸々してて、かわいいんですよぉ!!