今回の乳腺関連のことの最後に、生きている理由・優先順位共に1位娘!の私が
自分が乳がんかもしれないという可能性のもと、考えた自分の事です。





私はあまり女としての成長を喜ばれている感じはしなかった。

そもそも自分自身が心身の成長線が双方バランスの取れているものだとは思っていなかったし、私はずっと3歳児でいたかった。

それが出来ないなら一足飛びで成人した大人になりたかった。



第二次成長期を迎え胸の膨らみが気になり始めても親からブラを買ってもらえない私に、確か妹の友達のお母さんが買ってくれた。


それは十代の女の子が喜ぶような可愛らしいものではなく、アイボリー系カラーのフルカップのものだった。

女の象徴に女らしいものを着けたら怒られる気しかしなかったので、今の歳の私でも選ばないようなデザインのブラでも誰かに膨らむ胸を許されたようでホッとした。


サイズの測り方も知らなかったし、成長していく身体をどう扱って好いのか分からないのは私も両親もそうだったのでしょう。





胸がだんだん大きくなるにつれ、周りから性的な目を向けられたり、親たちから漠然とした性的な注意を受けるのが心の底から嫌だった。

私はものすごい精神的な潔癖症だった。



私は私の為に胸が大きくなればいいな、と思っていた。

好きな洋服をキレイに着るために胸が大きくなるのは嬉しかった。


高校を卒業したらYEN TOWN BANDのグリコみたいに胸の谷間に揚羽蝶のタトゥを入れるのを夢見ていたティーネイジャーでした(笑)



私は鳩胸で丸顔だから首が詰まっているものが似合わず、首のラインからデコルテを美しく見せる為に

当時はよくKOOKAIやMORGANなどフランスのフェミニンでセクシーでキュートな服が好んで着た。


フランスの女の子のようにギュッとバストを盛り上げ半分出ているような着方を好んだ。

それは当時の私によく似合ったと思うし、上半身の露出が高くなる分、ボトムは基本膝下丈で15cm〜20cmのヒールを履いていた。




そんな私はよくキャッチ、ナンパ、風俗勧誘、AV出演、痴漢に遭遇した。


仕事帰り夜道では2度襲われた。



警察でも言われた。

そんな格好をしているから悪いと。


早朝、満員電車で出勤し(痴漢と闘い)、ずっと立ちっぱなしで接客。

帰りは終電2本前(酔っ払いと闘う)。


フラフラで駅から25分くらいかけて家へ歩いて帰る。



後ろから羽交い締めにされ、胸に手を突っ込まれ揉まれながら引きずり倒される。

私のお気に入りの自分の為の服はボロボロだ。

口を塞がれた相手の指に隙間が出来たのを機に思い切り噛んだ。

あとから噛みちぎってやれば良かったとよく思う。

騒ぎを聞きつけその界隈の人達が沢山出て来て妹の友達のお父さんが送ってくれた。

私に初めてブラを買ってくれた人の旦那さんだった人だ。




もう1件は後ろからスカートの中に手を突っ込まれ下着とタイツに手をかけられた。

振り返った私の目に写った男はニット帽を目深にかぶり咥えタバコでニタリと笑っていた。

恐怖より怒りが勝って、どうしてかは覚えてないけど逃げようとする相手の服を掴んで引きずられて何十mか引きずられた所で、飲食店の人が出て来て足血塗れの私を保護し、

母が迎えに来て2度目なので警察に連れて行かれた。


乱れた服装で伝線したタイツを履いた足から血を流し震えながらタバコを吸って落ち着こうとする私にあの男の警察官が向けた目線、言葉、杜撰な対応は生涯忘れない。

屈辱以外の何物でもない。

まるで私が犯罪者のような気持ちにされるくらいなら(犯人捕まってないし)

連日寝不足だから早く帰って翌日の出勤に備えたかった。


そう言えばその日は早番だったから、母と妹と母の旦那さんにケーキを買って帰ってて

襲われたせいでケーキもグチャグチャで家族まで汚されたようで余計に惨めな思いをしたな。




私は本当に心から思ってる。

私に性的な目を向ける男が本当に嫌いだ!!と。


私は男の性欲を満たす為に胸が大きくなったんじゃない。

誰かの性的トリガーを引く為に選んだ服じゃない。


美しいバストラインは自分の着たい洋服をイメージ通りに着こなす為のもの。



痴漢に合うためでも、夜道で襲われる為でも、母親の男の馬鹿な友人らの下劣な好奇心を煽る為でもないし、近所で噂になる為でもない。



私は私が着たいものを自分の為に着たい。

だからアパレルにいた。

お客様が褒めてくれるのは嬉しい。

私みたいな格好をしたくても、職業的に出来ない人もいっぱいいて、そういう人の憧れでいる役割でもあった。


同性に褒められるのは嬉しい。

深く考える前に勃つ様なやつらに、生まれた時に身体が男性だった人達の事をどうこう言ってほしくない。 

性犯罪者は全員、去勢するか隔離島へ送られろ!と心底思う。



話が大きくズレたけど、私は私の為に美しいバストラインで好みの服を着たかった。

ただそれだけだ。


断じて私のバストは忌むべきものでも、男の性欲を満たすものでもない。




そんなバストは、娘のミルクタンクとなり完母で2年間育てた結果(粉ミルクを飲まない子だった)

私のおっぱいは2カップ萎んだ。



それでも今まで好きな服はたくさん着たし、難病になって元の仕事にも就けないだろうし、胸の圧迫があるからブラトップの締め付けがギリギリだ。



私は小さい頃から私の身体を「蝶ちゃんの指はお父さんに似ちゃったのね。お母さんに似れば…」と各パーツに呪いをかけられ続けてきたので全てにおいて自信がない。


けど唯一、比較されなかったバストは自分の身体のパーツで誇れ愛せるものだった。



2カップダウンしても娘が作った新しい形だから満足している。



けど3年前、自分の中で気持ちの整理がつかないまま拡大胸腺摘出手術が行われた。


胸骨正中切開ではなかったものの、私のバスト周辺には4ヶ所の傷が出来た。


1つはケロイドになって、呼吸器外科のドクターが形成術を受けるか気にしてくれているけど、

そういうものだと鏡を見ても受け入れられるものになった。




そして先日まで。

私は乳がんの可能性が高かった。


手術でも全摘ではなく一部切除だとは思っていて多少形が変わるのかな?と。



それはもう落ち着いて受け入れる事が出来たのだけど、

私のおっぱいヒストリーを思うと可哀想でならなかった。




第二次成長期では私を含むみんなが成長をしていくバストを受け入れられず、


ある程度大きくなってからは常に性的な目に晒され、不本意に揉まれ、そうされるのは服や胸や派手な私のせいだとされ、


早く男の一般的性的対象から外れたい、早く歳を取りたいさえ思っていた。



母親となり服装も母親らしいものに意識して改めやっと性の対象から外れ、

娘にか吸い尽くされた(笑)


手術跡が4ヶ所残り、それも受け入れた。


そうしたら次は乳がんだった(今回は違ったけど)




なんて可哀想な私のおっぱい。

と、思ったらとめどなく涙が溢れてきました。


私はフェミニストで、女である自分を愛しています。


そして真性の男嫌いなんだと、女と対等になれない世の男どもの大半に呪詛の詞を吐き、自分らしく生きたい子たちを汚らしい欲望から守ってあげなくては!という謎の使命感まで湧いてくるという笑



でも次生まれ変わるのなら(変わりたいとも思わないけど)

男とか女とか特に性欲とかなくて(生産性0だね)

LGBTQという言葉がなくていい世界で生きたい。



私は私を愛してあげるけど、だからといってそれが一般的な大切だとは少し違うのです…


誰に見せることもありませんが、20代後半に自分の身体をB2パネルに自分で描きました。

あの時が1番美しかったから。

私だけが覚えておくべきだと。

絶頂で逝ければ良かったー!は夢のまた夢。



女の人は大変ですね。

私は娘に必要とされなくなるまでは、どんなに形が変わっても胸を張って生きようとは思ってます、非常に辛いけど。