先週の火曜日、ちょうど一週間前。
母が93歳で大往生をした。
前日まで弱々しい声だか
「まだ頭はハッキリしとるよ。
あんたと孫娘に会ったからもういい」
なんて気丈に話していたのだけど
翌朝から血圧が下がり始め
午前10時前後に眠るように旅立った。
病院ではないので一切の医療機器は付いておらず
「あれ?おばあちゃん目を閉じちゃったよ」
「なんか呼吸してない気がする」
そんな穏やかな死だった。
思わずかけた言葉は「お疲れ様でした」
人の生を生き切った感じだった。
思えば7月末からコロナ罹患、誤嚥性肺炎を
乗り越え、充分な看取りの時間を与えてくれ
娘としてはもう悔いのない逝き方だった。
子は親の背中を見て育つと言うけど
「こう言う死に方もあるんだよ」と
最後まで教えてもらった気がする。
父も主人も突然呆気なく逝ってしまったけど
母はゆっくり時間をかけて
老衰とはこう言うものだと見せてくれた。
これと言った病気もなかったので
母にしてみれば衰弱していく自分の身体と
悠久とも思われる果てしなく長い時間を
持て余しなかなか辛かったと推察する。
「いい人生だった。幸せだった」と
事あるごとに口にしていたが
「生きすぎた」ともよく言っていた。
たぶんその時その時の本音だったのだろう。
棺に入れたカードに書いた言葉は
産んでくれてありがとう。
貴方の娘で幸せでした。
涙は出なかった。
旅行好きの母の旅立ちは笑顔で送り出した。
余談だが、母はアルゼンチンタンゴが好きで
アルフレッドハウゼの「碧空」「ジェラシー」
「ラ クンバルシータ」がお気に入りだった。
弟が通夜葬儀の前後に会場で流したいと
ハウゼのCDを持ちこんだ。
しかし、いつまで経ってもタンゴは聞こえてこないどころか、何やらラテンの歌が流れてる。
「おばちゃん、これタンゴ?」と若い姪が
訝しげに聞いてきた。
弟も変な顔で聞いている。
通夜を終えて弟がCDを確かめたら
CDの入れ物はハウゼだか、中身はなんと
フリオ イグレシアスだったと言うオチ。
葬儀で棺の蓋が閉まる時はちょうど
母のお気に入り「ナタリー」だった。
弟と顔を見合わせ無言で頷き合った。
いいよね、フリオも好きだったからさ