昔通っていた古代史カルチャーの先生から


コロナ下ですので自己責任ですが


よかったら参加しませんかと


「日本後紀」春の旅 上下御霊神社を訪ねる旅


に誘っていただきました。


2月に娘と一泊で行った京都では、感染拡大中


京都駅とお宿だけで帰宅しましたが


ただし、宿の近くだった平安神宮には

娘に白い目で見られながら参拝しました。

午前11時人の気配の無い平安神宮

たぶん一期一会

生涯二度とない参拝になりました。








下御霊神社は寺町筋にあるので、今までも


御所の行き帰りとか、寺町ぶらぶら歩きの時


ちょっと寄って参拝したりしてました。


崇道天皇(桓武天皇の弟 早良親王)

伊予親王 (桓武天皇の息子)

藤原吉子 (伊予親王のお母さん)

藤原広嗣

橘逸勢

文屋宮田麻呂

火雷天神 (菅原道真)

吉備聖霊


八柱が御祭神ですが、上御霊神社とは

若干祭られている柱が違うようです。


今回先生が「謎だわ〜」とおっしゃっていたのが


吉備聖霊 きびのしょうりょう


誰?


吉備真備ではないらしい。


だって他の方々は怨念無念恨みつらつらな


祟り神ばかりなのに、吉備真備は成功者。


怨みを残して祭られているはずがない。


本当に日本史の謎らしいです。



上御霊神社








初めて参拝しました。


下御霊神社よりかなり大きな神社です。


崇道天皇

藤原吉子

橘逸勢

文屋宮田麻呂

火雷天神 (菅原道真の荒御霊)

吉備大臣 (吉備真備)

なんとこちらは真備になってる。

井上大皇后 (光仁天皇の皇后)

他戸親王 (光仁天皇の息子)


井上皇后と他戸親王は伊予親王と藤原吉子と

怨みの質が同じなのかなぁ?

親子で謀叛の罪を被せられ、失意のうちに

亡くなってるからね。


上下御霊神社は御所の対角線上にあり

怨霊から御所を守っているようです。


京都ホテルから下御霊神社までを


名残りの桜を見ながら高瀬川沿いを歩き








長閑な春の京都を楽しみました。


旅の終わりは左京区鹿ヶ谷にある法然院。






法然が祭られているわけではなく


法然が弟子達と六時礼賛行をした草庵で


この辺りの地名が鹿ヶ谷。


平家物語で打倒平家の密議が行われたと言う


東山山麓鹿ヶ谷だそうです。


法然院には谷崎潤一郎ご夫妻のお墓もあり


枝垂れ桜の下「空」「寂」と彫られた


一対の石碑がひっそりとありました。


聞かなければ誰の墓ともわからない


侘び寂びの効いた墓石でした。


まだまだ人の少ない京都ですが


有名どころ人気スポットはそれなりの人出で


徐々に観光客が戻っているように見えました。




それでも夕方の哲学の道はひっそりとして


舞い散る桜が春の終わりを告げていました。


健脚で賑やかな老婆は


京都駅で551の肉まんを土産に


帰路につきました。