昨日インターネットのニュースをながめていたら、加藤和彦さんのお別れ会のことが出ていた。
10月16日に彼は自ら彼岸へと旅立ってしまった。
ツイッターを見てそれを知った私は、PCに向かって「うそ!」と言うのがやっとだった。
中学二年の時、フォーククルセダースに夢中になり加藤さんの大ファンになった私。
同年代の仲間はGSに夢中で、やれジュリーだショーケンだと喧しく
フォークルなんて言ってる私はかなり浮いていたのではないだろうか?
そんな時、当時来日していたモンキーズを京都まで見に行くことになり、ベース担当の
マイク・ネスミスファン(かなり渋い趣味らしい)の私は、これで私もGSデビューと喜んだのだった。
公演場所の京都会館に着き、座席を探してうろうろしていると・・・・二つほど前の席に長身の男性が
髪の長い色っぽい女性と仲よさげに、肩を寄せ合って座っていた。
「加藤さんだ」一目でわかった私は、それからのモンキーズのコンサートをほとんど覚えていない。
勇気を出して赤い手帳にサインをもらいに行ったのは覚えているんだけど(;^_^A
たった一年でフォークルは解散し、私はソロ活動を始めた加藤さんのファンクラブに入った。
後にも先にもファンクラブと名のつくものに入ったのはこれだけ。
とにかく「好き」だった
飄々として、どこか浮世離れしているような加藤さんが大好きだった。
結婚してミカバンドを始めた頃から、私の興味は野坂昭如氏やリチャード・ドレイファスに移り
熱狂的加藤和彦ファンは片隅に置き忘れられていった。
そして時は流れ、2002年秋フォーククルセダースの「再結成解散コンサート」をNHKホールで
生で聴く事が出来た私は「生きている間に叶えたい夢」のひとつをかみしめた
そこには、かなりオジサンになってしまったけれど、相変わらずの茶目っ気と甘い歌声の加藤さんが
タキシードに赤い靴を履き飄々と唄っていた。
その時から意気投合したであろうアルフィーの坂崎幸之助くんと組んだ「和幸」のコンサートが
生きている彼の生の歌声を聞いた最後だった
どうして?・・・・・どうして?と言う疑問符しか出てこない彼の死だった。
フォークルはもう二度と唄わない。