春に旅立つ人 | ありのままの私が輝き出す♪

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さあ、私から笑顔を始めよう♪

 

 

3月27日 祖母が永眠しました。

ずっと付き添っていた母と叔母に見守られながら

眠るように亡くなったとのことです。

 

緩和ケアに移った日の夕方。

新型コロナの影響で、面会禁止との決定が出ました。

その日のお昼過ぎ、帰省した弟とお見舞いに行き、

4時間あまり話をした後のことです。

 

ギリギリ話ができた私たち。

これ以後、会うことはできませんでした。

 

緩和ケア病棟ということで

特別に母と叔母の面会のみ許可されました。

でも一日10分。

こちらの問いかけに応じることがなくなった最後の数日間だけ

泊まり込みが許されました。

 

会えないならせめても・・・と、帰省した弟夫婦、母と叔母、私と息子で

祖母直伝のレシピでちらし寿司を作りました。

実家の柚子をみんなで絞って作った、特製柚子酢。

喜んでくれました。

 

「ぜんざいが食べたい」

というリクエストがあったので、急いで作りました。←甘味担当

そのまま食べることはもう難しかったので

シャーベットにして食べたそうです。

それが最後の食事となりました。

 

 

 

 

 

「桜が見られると良いですね」

担当医師の言葉の通り

桜が祖母の旅路を見送るように

咲いてくれました。

 

桜柄の着物、桜の刺繍が施されたお棺。

たぶん人生初となる、ピンク色のマニキュアとペディキュア。

お化粧をしてくださった方が

「とてもキレイなお肌ですね」

と褒めてくださいました。

 

本当に眠ってるようにしか見えなくて

息をしてないのが不思議なくらい

とても静かに横になっていました。

 

間に友引を挟んだので、丸一日準備する時間があり、

その間しっかりと家中の掃除をしました。

あんなに念入りに仏壇の掃除をしたのは初めてです(笑)

きっと綺麗好きな祖母が

「お客さんを迎えるんだからきちんとしときなさい」

と時間をくれたのでしょう。

 

5歳の息子は大のひいお祖母ちゃんっ子で、

実家に行く度に、まず祖母の部屋に走って行っていました。

亡くなったことを伝え、お通夜の準備をするときも

率先して机を運んだり、掃除をしたりとくるくる動いてくれました。

「さわっていい?」

と聞き、やさしく髪の毛をなで、額に触って

「足はどこ?」

と聞いてきました。幽霊になったと思ったのかな?

 

お通夜でも葬儀でもじっとイスに座り、

「にゃむにゃむ」とお経を一緒に唱え、

お棺にお花もいっぱい入れました。

 

祖母は息子の描く絵が大好きで

「もったいないけど、どれか1枚は(お棺に)入れて欲しい」

と言っていたので、一番お気に入りの絵を入れました。

 

お骨あげも自分からやりたいと、いくつも入れてあげました。

 

 

息子にとっては、死は不思議なものかも知れません。

大人がなぜ泣いているのか、不思議で笑ってしまうことかも知れません。

でも私が

「お祖母ちゃんがいないのが悲しい、さみしいよー」

と、しがみついて泣き出したとき、

ぎゅっと抱きしめてポンポンとやさしく背中を叩いてくれました。

 

 

 

亡くなる少し前、友人のさきちゃんから

「家に柿の木ってある?」

とメールが。←さきちゃんはよくメッセージが降ってくるのです

「お祖母ちゃんのことかも知れない。話しかけてあげて」

とのことだったので、実家にある柿の木に触ってみました。

 

見えたイメージは、三日月。

 

すると、祖母の声で

三日月の子守歌が聞こえました。

息子が赤ちゃんの頃にも歌ってくれた子守歌です。

これからも三日月を見る度にきっと思い出すでしょう。

 

 

 

 

死は終わりではなく、新たな旅立ち。

懐かしい人に再び会える旅。

 

3年前に母を見送った、祖母の姪にあたる方が

「母が向こうで待ってると思うと、死ぬのは全然怖くない。

強がりでも何でもなくてね」

ただ苦しむのはイヤだなーと笑って話されていました。

 

 

 

 

私たちは何度も生まれ、何度も死に、

生まれ変わって巡り逢う

魂の旅を続けて行くんだと思います。

 

 

 

先日の記事で「私の人生 大正解!」と思えた私は

(色々あったけど)祖母の人生もこれで良かったんだと思う

という所にたどり着きました。

 

しかし、祖母からつらかったことをいろいろ聞いてきた叔母は

祖母の遺影を見ながら

「しあわせだった?楽しいことあった?」

と苦しそうにつぶやいていました。

 

それでも私は

「あれだけつらいことやしんどいことがあったけど

お祖父ちゃんが倒れてから介護をするようになったとき

『お前にもいろいろ苦労かけたのう。

すまんじゃった』

と謝りの言葉を聞けたから

許そうと思った」

と言った祖母の言葉は、嘘ではないと思います。

 

 

 

 

いつ

会えなくなるようになるのか

話ができなくなるのか

それは突然やって来るかも知れません。

 

どうぞ

会いたい人には会えるうちに。

言いたいことは言えるうちに。

ごめんねもありがとうも

相手がいて話せるうちに伝えてください。

 

 

この写芯は1年前。

「そろそろ写芯を撮っておいて欲しい」

と祖母に言われ、庭先で撮りました。

祖父と一緒に座り、向かいの家に咲く桜を見ながら

母の作ったお花見弁当を食べた場所です。

 

思い出すのはやさしい笑顔。

声を聴きたくなったとき

写芯を見れば、きっと応えてくれるような

そんな笑顔を写せたのはとても嬉しいことです。

 

 

戒名は『祥徳院善室澄江大師』

善室は良き妻。

きっと祖父がニヤニヤしながら

「お前はええ名をつけてもらったのう」

と笑っていることでしょう虹

 

お祖母ちゃん

また会いましょうねチューリップオレンジ