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さくとたるによるとりとめのないオボエガキ

 

子供の頃熱心にやっていた宗教で教えられた印象的な言葉がある。

 

「相対的幸福」と「絶対的幸福」。

 

誰かや何かと比べての幸せではなく、自分自身がなにものにも揺らぐことのない絶対の魂の幸福を得られる、みたいな話。

 

 

だれだれよりなになにを多く持っているから幸せとか、少ないから不幸せとかじゃなく、人はそれぞれ開眼すれば境涯に合った幸福を手にできるんですよ、みたいな話だったと思う。

 

 

なるほど人は幸福を感じる時、たしかに意識的無意識下にかかわらずなにかだれかと比べる。

というより比べざるを得ない。

だって自分の中にたしかな「ものさし」なんて持ってる人普通いない。

 

 

その「ものさし」としての機能を果たすのがつまり宗教で。

それを持たない人は他人や「自分とは別の何か」の存在と比べることでものごとの価値を知ることができる。

 

 

まったく「比べない」で生きていくことはまず不可能だ。

そもそも群れで生きる性質なんだからこればっかりはしょうがない。

というより比べることなしで、言い換えれば比べる対象の存在がまるでない状況で自分の存在を確認なんてそもそもできないだろう。

 

 

地球上に自分ひとりしか生き物がいなかったらってときどき考える。

人間だけじゃなくてありとあらゆる生き物と呼べるものが皆無だったとして、はたしてどのくらい人間である自覚と正気を保って生きていられるだろう、と。

 

まあそんなんじゃ食いもんすらねえだろって突っ込みはさておき、想像を絶する完璧な孤独下では、まず言葉から忘れて行くんだろうな。

もっともその環境に追い込まれる以前の状態にもよるが(生まれていきなり放り込まれるのか、ある程度成長して過去の記憶を持った状態なのか等書きだすとキリがないな)。

 

 

話が飛んだが、相対的絶対的の話だったな。

 

わたしはこんなに幸せなの、という主張をするとして、

「~と比べてこんなに~を多く持っている」からというのが相対的幸福。

「とにかくわたしは幸せなの」というのが絶対的幸福。

すんごい雑に言うとね。

 

根拠なんかないけど、比較対象なんかないけど、理由もまったくないけど、とにかくここにいるのが幸せ!生きる即幸せ!生まれてきて生きてるだけで丸儲け!

みたいに思うのが絶対的幸福なんだとしたら、

 

 

なんかちょっと、アブナイよな。傍から見ると。

 

 

いやもちろん人生楽しく生きるためにこの感覚はものすごく大事だとは思うが。

理由が説明できないってのはやっぱちょっと違う気はする。

言い方悪いがラリってるのと変わらん。

 

 

それにね、絶対的幸福を持っているって人はやっぱり無意識下で

「相対的幸福しか感じられない人と絶対的幸福を持っている自分」を「比べて」自分を幸せだと思っているんだよ。

 

 

やっぱり比べる対象あってこそ、なんだろね。

 

 

わたし自身は誰かと比べて持っているものもたくさんあるから幸福だし、持っていないものもたくさんあるけどそれを不幸とは思わないけど。

 

 

なにかと比べることで自分の立ち位置と、大きく見れば社会の姿も見えてくる。

比べることで心が乱れるときだってあるけど、比べる対象のある現状にむしろ感謝すべきなのだろうと思う俗物です。

 

 

…あとたぶん、比べてグダグダ考えたことを忘れちゃうのが一番幸せです。バカ最強。

 

 

たる

 

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