バングラデシュの首都ダッカでの悲劇は、日本人など外国人を標的にしたようだ。イスラム教の聖典コーランの1節を暗唱させ、それができない人たちを殺害したという。これが各地で起こると、イスラム教の国では、怖くて働けないことになりそうだ。

しかしバングラ人の中には「友人を置いていけぬ」と、犯人たちから脱出を許されたにもかかわらず、犠牲になった20歳の大学生男子がいた。米国人女性の同級生とその友人の3人で食事を楽しんでいたが、自分だけ助かるのを拒否して一緒に死んでいったという。

このほかにもイタリア人のビジネスマンと共に来ていた女性バングラ人も、殺害されている。その理由がわかっていなかったが、恐らく同じように、イタリア人の人質だけ残して現場を立ち去れなかったのではないか、と想像されている。

かりに私たちが、この立場に立ったと仮定してみよう。果して一緒に殺される覚悟ができるだろうか? 特に前途を期待されている若い世代となると、決断はそう簡単ではないだろう。また残された父母にしてみれば「なぜみすみす殺されたのか」と、嘆いて当然だ。

世界の国々では、病気や事故で息子や娘が親よりも早く死んだ場合、それぞれのお国柄で、まったく考え方も違うし、泣く意味も異なるという。毅然としている親もいれば、泣きわめきつづける国の母親もいるという。

バングラ人の場合はどうなのか、知る由もないが、少なくとも友人たちは、バングラ人に感謝と安心感に包まれて銃に射たれて逝ったのではあるまいか。すばらしい友人愛、人間愛の瞬間だった。


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