20日の夜、東京一ツ橋の如水会館で、私の55年に及ぶ出版生活を祝う会が催された。およそ250人という大勢の友人、知人が集まってくれたのだ。
私が「作家、編集者になりたい」と漠然と思ったのは、15歳のときだった。
この年の暮れ、私は指に皮膚病ができて、医者に通ったが、敗戦後ということもあり、治療するにも薬がなかった。そこで箱根芦の湯温泉に行かされ、温泉治療することになった。
運命は本当にわからない。ここで15歳の少年は、太宰治と覚しき女性連れの作家にめぐり会ったのだ。この時期は新聞も満足に出ていない、悲惨な時代だった。私は太宰治の顔を見たこともない。
ところがこの作家は、毎晩、「一緒に食事をしよう」と、部屋に招いてくれたのだ。非常にもの静かな女性連れで、私に小説家の生活をいろいろ語ってくれたのだった。
ときが移り、昭和23年(1948年)6月14日、新聞に前日、投身自殺した太宰の写真が載った。私は「あっ!」と思った。まぎれもなく、芦の湯温泉の松坂屋本店で出会った顔だった!
私はすでに17歳から、短歌と詩を新聞に投稿していた文学少年だった。小説の真似事も書いていた。明らかにあの作家の影響だった。
昭和28年(1953)、私は首尾よく出版社に入った。七回忌にあたるその年の桜桃忌に、作家の五味康祐と共に初めて参加した。今年は思い出の太宰治の死後60年に当たる。