死を宣告されたことがある。
小学校3年生。世界全てが面白い時期にだ。
「心音に異音があります。この年頃だとなにがキッカケでコロリといってしまうかしれませんから、なるべく心臓に負担をかけないように。長く日光にあたったり激しい運動は控えてください」
あの夏の小児科医はおれと母親の前でそう言い放った。
10歳児の思考に突如降って沸いた「自らの死」という概念。「人は死ぬ」。そんなことは分かってはいるれども現実の可能性として考えることなど必要ないしコエーからいいよう、と逃げても全く問題のなかった子供が死について考え始めた。まず思ったのは「ジャンプの続きが読めないのは非常に困る」「アニメだってそうだ」。自分が困ることは他には特にないな、と思った。次に考えたのはおれのいなくなった後の世界のことだ。母は悲しむだろうか。父は悲しむだろうか。祖母は悲しむだろうか。兄たちも悲しむだろうか。友達はどうか。どのあたりの友達まで悲しむだろうか。いとこは。先生は。お菓子屋のおばちゃんは。体育は毎回休むようになった。運動場で光り動き回る友達を見ていた。映画のようだった。おれは既に世界に参加していない。世界に対する観客であり傍観者。一ヵ月後、遠くの国立病院で検査を受け、先天的なもので生活には支障は無いとの判定を受け、小学校生活は元に戻った。しかし今もおれの奥底で傍観者であるというその感覚はついてまわる。