こわい。かなしい。かなしい。こわい。おばけは怖い。別れは悲しい。おばけが怖いのは、そちら側につれていかれそうだから怖いのだ。別れが悲しいのは、それが永遠のものであるかもしれないのが悲しいのだ。恐怖とはつまりは自らの死であり悲しみとはつまり知るものの死だ。しかし知らないものの死は私にとっては存在しない。もし悪魔が耳元で「おまえの命をさしだせばおまえが全く知らない100万の人々の命を助けよう」と囁いたとして自らの命をさしだせる人間は正常か。人はこの先の悲しみとこの先の恐怖とを天秤にかける。知らない人100万人を想像によって知れ、その妄想上の悲しみを自らの死という恐怖に打ち勝たせる、そういう人がいたとして、果たしてその人にとって目の前に存在する知人である私は妄想と同じ価値なのではないか。そして私はこうして知らない人に向けて文字を入力している。私が知らない人たちの中に、“私を知っているかもしれない”人を増やしている。それは“希望”と呼んで差し支えないものだと少しだけ信じている。