約一ヶ月後に迫った長期ツーリング。


経費節約の為、その7割が相部屋や鰻の寝床になるのだが、その反動からか以前泊まったホテルや温泉旅館が夢に出てくる様になった。





思えばココも豪華だったな。





で、夢の中でもそうなのだが、何故オレという人間はホテルや旅館で落ち着かないのだろう?


本来なら、ホテルや旅館というのは日頃のストレスから解放され、心身共に癒されるために利用する場所のはずだ。


なのに、何故オレは部屋に入った瞬間から忙しいのか?


無駄にクロークを開け、無駄に浴室のドアを開け、何故そのどちらもスイッチをパチパチやってしまうのだろう?

自宅でそんな事をやる馬鹿がいるだろうか?





正にその行動がコレ。下級国民は常に忙しい。





夢に温泉旅館が出てくるのは願望のせいかと思われるが、よくよく考えてみれば、人は何故あの窓際の古ぼけた広縁に座りたがるのか?

家によっては、未だに広縁を持つ御宅もあるだろうが、おそらく住んでても利用したのは数える程しか無いはずだ。


空のティファールにユニットバスの水道水を入れ、普段は絶対に飲まない様な唐辛子入り茶の袋を開け、湯が沸く頃には外の景色にも飽きてしまう。


いつから置いてあるか分からないお茶請けに手を出し、中身が緑色のゼリーだと敗北感に悩まされる。


湯呑みに口をつけた瞬間に後悔し、ファイルに挟まった館内設備の説明書に目を通す。


目を通すが、それは飛行機の座席に差し込んである海外土産のカタログ同様、字が小さ過ぎて日本語かフランス語かの区別もつかない内に元の場所へと戻す。


景色は既に見飽きているのだが、何故か窓を開けて写真の一枚でも撮ってしまう。


が、確認してみると湯けむりが綺麗に立ち上った瞬間を逃していたため、二枚目を撮るハメになる。


二枚目はなかなか上手く撮れたと自画自賛するのだが、外に目をやるとさっきよりも派手に噴き上げる湯けむりを見て愕然とし、遂には連写モードで20枚くらい撮ってしまうのだ。

そんなに沢山撮ってどうするつもりなのかは自分でも分からないのだが、外の景色に飽きてしまった以上は時間をかけてベストの一枚を選び、誰に送るでもない湯けむり写真を見ながら納得の境地に浸るのである。


そんな姿を、もし自分の嫁や彼女に見られたらと思うと血の気が引くが、部屋に入った時からの慌ただしいルーティンが終了した以上、他にやる事は無いのだから仕方がない。


そう、忙しいのは最初だけで、一通りの儀式を終えた次の瞬間からは退屈が待っているのだ。


床の間に置いてある壺の中も覗き終り、設定した金庫の暗証番号が合っている事に安堵し、持って帰っても一生使う事の無いアメニティをバッグに入れ終えたら、後はもうテレビを見るくらいしかやる事がない。それが下級国民の生態なのである。


下級国民は、無駄に何度も風呂に入る。


下級国民は、大浴場のシャンプーとリンスが馬油入りだと得した気分になる。


下級国民は、その馬油シャンプーを普段より多めにプッシュする。


下級国民は、風呂から上がって部屋に戻ると散策に出るのが面倒になり、ロビー横の土産屋を無駄にチェックする。


一応は誰かにお土産をという考えが頭に浮かぶが、試食品のサブレをつまんでいる内に気が変わり、その二分後には野沢菜漬けに手をのばしている。


ガラス張りのロビーから外を見ると、いつの間にか雨模様になっており、形だけでもガッカリした様な表情をする。


ガッカリした様な表情はするが、内心は外に出るのが面倒だったため、仕方なく諦めたフリでロビーのソファーに身を任せる。


身を任せたソファーを無駄にナデナデした後は、やはりそれにも飽きて部屋へと戻る。


部屋へと戻るエレベーターで宿泊客と相乗りになり、気まずい沈黙が流れる。


人は、エレベーター内で気まずい沈黙が流れると上を向いてしまうのかが未だに謎だ。


老舗旅館のエレベーターが、到着時に必ず『ガクン』となるのと同じくらい謎だ。


部屋へと戻ったオレは最早何もする事が無く、意味の無い腹筋を10回して満足し、ローカルニュースを点けっぱなしのまま夕方から寝てしまい、夜中に目が覚めて腹が減るも食べる物が無く、仕方なくカピカピになった緑のゼリーを頬張るのであった……




















今朝、素泊まりで予約してある長崎(離島)の民宿に電話し、二食付きに変更してもらった。







正夢だけは回避したい。