【京都】

京都市下京区富小路通六条上るの
 蓮光寺
     戦国大名 長宗我部盛親
(元親の四男)のお墓があるお寺

 

【蓮光寺 御朱印】
 
 本堂の奥に進むと墓地があり

  最奥に長宗我部盛親公
         お墓があります。

 

 拝観は事前予約が必要ですが

 

お墓にお参りに行く事ができ


        御朱印を

いただく事が可能ですラブラブ

 
 
     下記の御朱印は 
 
 平成28年度京都浄土宗
「寺院特別大公開」の時に
  いただきましたハート
   
 10月8日午前中のみの
       公開でした。
 
【蓮光寺 御朱印】
  
「長宗我部元親公」の
          御朱印は

       公開日には
いただけなかったので
 
           後日、
改めてお参りに行きました。

 

 
【山号・宗派】負別山 浄土宗
 
 1492年、天台宗真盛派の祖
   真盛上人が
 高野山の苅萱堂を模し
 
  下京区新町高辻に
 草庵を結んだ事に始まり
 
1591年、豊臣秀吉の命により
現在の富小路通り六条に移る。
 
 真盛上人の弟子である
  玉譽光順上人が
   浄土宗に改め
 
二世順譽蓮光上人の時代に
 寺号を蓮光寺と改称した
 
 と伝えられている寺院。

 

【本堂】 

 
   御本尊 阿弥陀如来像は
  快慶の作と伝えられ
 
 下記のような物語が
         伝わっています。
 
   ある夜

 快慶は夢の中で
 
 「東国より客僧が来て

仏像の彫刻を求めるので
 その願いを適えるように」
 
     との
お告げを受けます。
 
 そのお告げの通り
 
奥州湯殿山に庵室を結ぶ
   覚明という者が
          訪ねて来て
 
  夢のお告げで
上洛して快慶に仏像を請え
              との
  お告げにより

 参上した旨を伝えると
 
 互いの霊夢に驚いた2人は

     翌年の春に
仏像を受け渡す事を約束。

 快慶は一刀三礼のもと
 
 約120日をかけ

        丈2尺7寸の
見事な像を完成させますが
 
  あまりの素晴らしさに
 自分で護持していたい
 
 と思うようになります。
 
  約束の日になり
 覚明は来訪しますが
 
   快慶は

「まだ完成できないので
来年の春まで待って欲しい」
 
  と告げます。
 
 覚明は翌年に再び上京
 
快慶も2回目は偽る事も出来ず
 本尊を覚明に贈りました。

  覚明は大変喜び
    帰途につきますが
 
  快慶は今一度
 本尊を拝し奉りたい
 
という気持ちを止められず
 
 覚明の後を追いかけ 

 山科の追分で追いつき
 
今までの事を全て明らかにして
   覚明に謝り
 
 もう一度拝させて欲しい
 
   と頼みました。
 
 覚明も事の次第に感銘し
 
  箱を開こうとすると
 
 突然、箱から光明が放出し
 
  紫雲がたなびき
 
 箱の内を覗いて見ると
 
   不思議な事に
 
   一体の像が
二体に分身していたそうです。
 
 これは仏様のはからいと
 
 2人は各々一体ずつ背負って
 
  覚明は東国に
 
快慶は京に帰ったので
 
  この御本尊は
「負別(おいわけ)如来」
                     と
呼ばれるようになったそうです。
 
   山号の負別山も
 
この物語に因んだもの!!
 
  もう一体の方は
 
      宮城県仙台市に

  同様の縁起を伝える
「笈分如来」があると
 
法話の中でお伺いしました。

           いつか
訪れてみたいと思います。
 
【地蔵堂】
  「駒止地蔵」は
弘法大師空海の作と伝わり
 
          六条河原に
祀られていたそうですが

 洪水によって流され
 
行方不明になったいたのを
  発見したのが

 平清盛とされています。
 

 ある日、清盛が馬に乗り

六条河原に差しかかった際

 

 急に馬が動かなくなり

 

 不思議に思った清盛が

  その場所を掘ると


お地蔵さまが出てきたそうです。

 

  この伝説から

 

  「駒止地蔵」

と呼ばれるようになった

            との事。

 

今年は特別公開されるか

   不明ですが

 
  平成29年京都浄土宗
「寺院特別大公開」の発表が
 
      ちょっと楽しみですねハート②