さくらゆきファンクラブ歴史講座 第4回 『炎の月』その1 | さくらゆきファンクラブのブログ

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今回は小栗さくらさん作詞の「炎の月」です。 真田幸村(信繁)公イメージソングで大坂夏の陣へと向かう幸村公の心情と 父や兄の想いを全て背負って信念を貫く様子を描いた曲です。

≪歌詞≫
赤き絆に誓う この身に秘めた炎
燃やし 散り行く華咲かすと
挑みし父の闘志 守りし兄の剛志
全てこの心照らす標
覚悟を決めた六文の誇りは永遠(とわ)に

(さくらゆきHPより抜粋)

まさに何十万にも及ぶ徳川軍の陣容を陣地の茶臼山から見た時の幸村の決死の覚悟をを語るかのような詩です。


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大坂夏の陣、5月7日午前10時(正午とも)ごろ幸村の左翼に陣する毛利勝永隊が徳川軍の本田忠朝隊に鉄砲を撃ちかけたことで始まりました。

ここで時間を戻し3月19日。前年の大坂冬の陣と、いずれくる夏の陣とのちょうど中間の頃に真田幸村は信州上田藩・真田信之の家臣小山田茂誠(しげよし)に手紙をだしています。
その内容は・・・

「定めなき浮世なので一日先の事もわかりません。私などはこの世に
あるとは思いなされますな」

と書き送っています。
事実大坂方はこの時点で次の戦い(夏の陣)の準備をしており、幸村は
次の合戦で死ぬであろうと察していた事と思います。

そして5月7日。
四天王寺に陣する毛利勝永隊が前進してきた約2000の本田忠朝隊に鉄砲を撃ちかけますが忠朝も負けじと応戦します。



さくらゆきファンクラブのブログ-四天王寺










そこへ徳川軍第一陣部隊の秋田実季、浅野長重、真田信吉、信政、小笠原秀政が毛利隊に向う一方で越前衆、松平忠直隊が茶臼山の真田幸村に向か い鉄砲を撃ちかけます。
こうして天王寺口一体で大射撃戦が展開されることになりました。

幸村隊は攻め寄せる松平忠直隊前衛の越前衆を茶臼山の近くまで引き寄せ猛然と射撃をくり返し次々と撃ち倒していきます。
毛利隊は攻め寄せる徳川軍部隊の連携の悪さにつけ込み撃退していきます。
そして半刻もたったころ陣を捨て総反撃の命令を出し徳川軍部隊に切り込んでいきます。
毛利隊の突撃により次々と秋田、浅野、小笠原の諸将は討ち取られ壊滅。
一部生き残った者は後方へ混乱の中逃げ出し、真田信吉、信政の部隊も徳川秀忠の陣する岡山方面に逃走しました。

こうして徳川軍第一陣は壊滅しました。

そして真田幸村はこの時とばかりに周囲に控える3500の軍勢に大音声を発します。

「向うは徳川家康本陣!狙うは家康が首ただ一つ!!」

真田幸村の軍勢は咆哮をあげるとともに一勢に茶臼山を駆け下ります。

後に島津家久から「真田日本一の兵(つわもの)」と評される戦闘が始まりました。