皆様、おはようございます
加持祈禱(かじきとう)という言葉を耳にしたことが
ありますか?
お寺などで新年に何か催し物っぽい感じで
仏前に座り、ご住職が護摩を焚いたり、フサフサした毛の巨大な
筆のようなモノ(払子:ほっす)でファサファサして下さったりしますね。
そういったことを加持祈祷と言いますが、個人でお願いするのと
一斉に行われるのとでは当然効験は異なります。
また、あのお寺(本来は行者)は凄い、あの寺は「効かない」などと
言われたりします。
それはもう行者の力量です。
注:住職だけが行者ではありません。
行者=密教僧であり、その日、その護摩やご祈祷を
受け持った者ということでもあります。
今朝の一枚は……
大好きな三井英光先生の本とお世話になっている
豊山派のお寺のご住職より賜りました『光明』という冊子
昨日は寝る前にこの2冊を読んでみました。
三井先生の本は、これまでも繰り返し読んでいるのですが
都度都度、「ん~……そうだよねえ……」と唸り、頷いてしまいます
この世に凄い行者様は”ちゃんといらっしゃいます”が
情報なども含め、出逢うことができるかどうかは
その人の<徳>ですね。
凄い(素晴らしい)行者であれば、効験は必ず顕れます。
それこそ、加持祈祷の直後から。
これは、体感した人ではないと「そうそう!」と言えないかもしれませんが。
なんとなく、薄らボンヤリ……「あぁそういえば……効いたのかもなぁ」……
これでもまだいい方かもしれません。
でも。
私がいつも思っていることは……
お願いした人自体が、お願いが叶っていく過程に対して
あまり注意深くない……ということです。
これでは、叶ったのか・叶わなかったのか、
凄い行者だったのか・そんなでもなかったのか。
正しく知ることができないと思います。
ミクロの視点で申し上げればそういうことで
マクロの視点で申し上げれば日々の生活の中に生じる
出来事全てに鈍感であるということです。
それは、開運や願いを叶える以前の問題で
いくら聖地だパワースポットだ、と言われているところへ
お出かけしたとしても、多分その効験を実感できずに
良く分からない……ということになることでしょう。
シンプルにめちゃ簡単に申し上げますと
運の良い人はあらゆる面で観察的で敏感です。
お悩みが尽きず不運な人は、あらゆる面で
一方通行の思考しかもたず、鈍感です。
幸せになりたくてアチコチお出かけしたり情報の収集に余念がなくても
本来、全ては自分自身にかかっているのです。
なので、ワタクシから開運につながるコツ(?)を
伝えてみたいと思います。
これは私が勝手に言っていることではなく
これまでの長年の前世療法やオーラリーディングにおける
定点観測の結果、データ化してみたものです。
◆この世には偶然はないと捉えてみる。
◆身の上に起きていることは全て魂の因果因縁から生じた
幸・不幸であると捉えてみる。
◆”誰かのせい”ではなく全部”自分のせい”
◆不幸は課題クリアのビッグチャンス
この4点を気にするだけでも、かなり視界が開け
これまでとは異なる世界が見えてくると思います。
話を戻して……
凄腕の行者は、我々の鈍感さなども含めて
加持し、祈祷して効験をお出しになるワケです
毎回、自分があれこれ試してみて
三井先生の御本を拝読して納得する……またやってみる……の
繰り返しをしています。
あ、ちなみに、この御本は完全に僧侶向けでして
僧侶でない方がお読みになられても
何を書いてあるのかサッパリ何一つ分からないと思います
業界用語(?)しか載っていないので
オススメの本なのね!と思ってお買い求めになりませんよう。
密教僧(これからなっていく方は特に)は絶対に熟読し、
人生の中で何度も何度も
諳んじられるほど読み込むべき1冊だと思います。
加持祈祷の効験は必ず顕れてしまうゆえに
行者は毎回超絶真剣勝負なワケです
日々修行。
日々修行。
毎日反省。