夢を掴むことは、自分を越えていくこと。4 | 私とわたしで夢を叶える日々の事

夢を掴むことは、自分を越えていくこと。4

さてさて 
続きです!
 

前回までは






リハーサルを終えて、ワクワクしながら練習をしていたハズが。

本番が迫ってくるにつれ、私は初めての恐怖に囚われていました。


その時の記事。
後半部分に書いてます。

いよいよ迫ってくる中で、衣装やなんやとなかなかの出費にビビっていたり、なかなか上達しない自分の歌にだんだん気が滅入ってきて・・・
本当に記事にも書いてますが、出るの辞めたい・・・と思ってしまうまでに。


重症チーン 。



そうそう、もうこの頃は、毎日欠かさず聞いてたハッピーちゃんの動画の音声版も封印して、海外のラジオか、歌う曲しか聞いてなかったので、色々心が揺れてしまって、戻るのに大変な感じに・・・滝汗


そして、職場でも歌い続ける日々(受付みたいな感じなので、歌っててもあまり問題ない。ダメですけどね笑)。



でも、なんだかどうやっても
英語の発音が滑らかにいかない・・・えーんオーノー  



色んな不安は抱えたままでしたが、記事の終盤に書いたように、恐怖を認めてから、何故か落ち着いてきました。 





そして、先程の記事を書いた日。
(11月9日。本番当日の3日前あせる)
アメリカのママから言われていたこと。


「お父さんにも連絡するのよ」


・・・これをやっと実行します。


ママ曰く

来る来ないはお父さんが決める事だから気にしないで、ただ、後で知らなかったってなると可哀想でしょう?


と。
確かにそうです。

まぁ、ですが、色々迷いに迷って、直前のお知らせ。普段、電話すらしないので、とにかく想いをちゃんと書いて・・・


メールを送りました。


自分の夢。
出る事になった簡単な経緯。



このメールを送るだけでも、私にとっては勇気のいる事でした。今まで、私のやる事に全てダメ出ししてきた父。それでも自分のやりたい事はやってきたので、貫く強さは出来ましたが、ただ、いつもダメだダメだと言われていたのです。娘から、また突拍子もないメールを送られてきただろうと考える父の反応を考えるだけでもイヤでした。 


すると
メールの返信がすぐ来ました。


そこには、

チカコにそんな夢があるとは知らなかった。
仕事で見に行けないけど、頑張って。ごめんな。
お母さんもきっと!(見てるよ、の意味)


と、ありました。


母が亡くなってから、私の事に関しては、全て叔母が引き受けてくれていたので、父が関与する事はなく、こうしていつも仕事だ仕事だと言われていたので、この返信はいつもと同じだな、くらいの気持ちで。

どちらかと言うと、来るなんて言われたら私が本番に集中出来ない・・・(ヒドイ・笑)



でも。


ここで、前日くらいに沸き上がっていた一つの案が、私の頭をよぎりました。
本番直前のこの辺りから、私はずっと自分に集中していました。
どんな事が起こっても

「これは絶対、良くなる為に起こってる」

と、唱えながら自然と落ち着いて・・・。 


なので、普段なら父に「分かった、ありがとう」という返信だけして終わるハズでしたが。



ダメもとで
相当勇気を出して


こんなメールを送りました。



やっぱりお母さんに来て欲しいので、非常に厚かましいのですが、お父さんにチケットを1枚買ってもらって、お母さんの席を1席作ってもらえないでしょうか?

私は準備の費用が掛かりすぎて、もうチケットを買う余裕がありません。

当たり前ですが、チケットもそれなりにするので、無理にとは言いません。

でも、もし力を貸してもらえたら嬉しいです。


父に何かをお願いする事は、思い出す限りで1度もありません。話す事もままならない程の関係でずっといたので、お願いなんて想像もしませんでした。



でも、ふと思い付いた
「お母さんに見に来て欲しい」
という願い。


人生でこの夢を聞いてくれたのは、
母しかいなくて、母の前で約束した事。



メールを一気に書き上げて、もうその勢いで送信しました。







どんな返事が返ってくるのかと
思いながら。




5に続きます!