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政党と選挙

桜内文城です。

 

一昨日(5月1日)、一通のメールが届きました。

 

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「希望の党」解散について

幹事長 古川元久

 季節を先取りしたような日々が続く中、皆様におかれましてもそれぞれの地域、分野で活発な活動を行われていることと存じます。
 さて、報道等でご承知とは存じますが、「希望の党」は4月26日の両院議員総会において、党を解散することを議決いたしました。その上で、民進党との間で新たな党を結党する方向を確認いたしました。(以下略)

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送り主の古川元久幹事長は、大学、そして大蔵省(現財務省)の同期でもあります。

 

実は、昨年秋の総選挙の際、元々無所属候補として出馬の準備を進めていたところ、突如、愛媛4区に落下傘候補が出馬する、それも希望の党から公認内定まで出た…との情報が駆け巡りました。私は、それこそ選挙活動の始めから自民党からの出馬を望んでいたのですが、小選挙区制のため、自民党現職がいる選挙区では無所属候補として活動する他はありません。その時、究極の決断を迫られました。自民党現職と希望の党の落下傘候補に対して、あくまでも無所属候補として選挙に臨むのか、それとも(立憲民主党的な政治的主張をしている)希望の党の落下傘候補をそれこそ「排除」してもらって、私自身が希望の党の公認候補となるのか。

 

事実の経過としては、旧知の中山恭子参議院議員に頼み込んで、何とか希望の党の落下傘候補の公認内定は撤回してもらえました。そこで一旦「やれやれ」と思ったのも束の間、今度は希望の党から「じゃあ、他に誰かいるのか?」という話になってしまいました。元々民主党、または民進党の人たちがほとんどを占めるようになっていたので、内心「希望の党から公認が出ませんように…」と祈っていたのですが、公示の一週間前(10月3日)に公認名簿が発表され、そこには私の名前も入っていました。

 

実はその後、私自身、非常に不本意だったので、極々内密に中山恭子参議院議員に電話で公認辞退を申し出て了解を取り付けました。しかし、公認辞退という極秘情報を事前に入手できる立場にあった人たちの中で悪意を持つ者がその情報をあろうことか民進党愛媛県連にも流し、私が公認辞退したらすぐに代わりの落下傘候補を愛媛4区で立てる準備をしていたのです。そのような事情の中、後援会役員会のギリギリの議論の末、希望の党公認で出馬することとなった次第です。

 

この度の希望の党解散というのは、私にとっても感慨深いものがあります。というのも、過去、私が所属した政党は全て例外なくなくなってしまっているからです。

 

2009年の衆院選には、無所属・みんなの党推薦で臨み、敗れました。

2010年の参院選全国比例区でみんなの党公認で初当選!

2012年の衆院選では日本維新の会公認で当選!

2014年の衆院選では日本維新の会が分党した片方(次世代の党)から出馬して落選。

2017年の衆院選では、上記の通り誠に不本意ながら希望の党公認で出馬して落選。

 

皆さん、お気づきでしょうか?既にみんなの党は解散しました。日本維新の会も分党後、維新の党は民主党と合流して民進党になり、次世代の党は日本のこころに改称した後、政党要件を失いました。そしてこの度、再び「解散」という足跡を刻んだのが希望の党なのです。その結果、私が政治家として過去に所属した政党は全てなくなってしまいました。

 

これまで「政党をコロコロ変わる」、「一貫性がない」、「信念がない」といったご批判を浴びてきました。ひとえに私の不徳の致すところであり、甘んじてお受けしますが、ぜひ上記のような経緯もご理解いただければ幸いです。政党を変わるつもりがなくとも、政党そのものがなくなるといった例が頻発しているのです。

 

私の政治活動の原点は、「公会計で国家経営を変える」ことにあります。そのためには、国会で財政制度改革、社会保障制度改革の法律案を可決成立させると共に、政府と日本銀行を連結した統合政府による財政金融政策の一体的な実施を行う必要があります。

 

選挙において無所属候補がこのような主張をしても、なかなか聴く耳を持ってもらえないというのが実感としてあります。10年間の政治活動を通じて、「何をいうか」よりも「誰がいうか」の方が遥かに大切だと感じました。どれだけ論理的に正論であっても、その前に人間的信頼が得られてなければ聴く耳を持ってもらえないのが現実です。「誰がいうか」の「誰」になる。選挙の場合、その「誰」になるためには、「政党」に所属する他はないように思います。特に保守的な地域であればあるほど、自民党一択しかないのでしょう。でも現実は、愛媛県に4つある衆議院小選挙区の自民党候補は全員世襲です。新規参入の余地はほぼ閉ざされていると言ってよいでしょう。

 

私は、文字通り徒手空拳で国政選挙に臨みました。妻の祖父は自民党の国会議員でしたが、私自身の生まれ故郷である愛媛4区では地盤の欠片も何の影響力もありません。それどころか、私の実家は、祖父、父と続く教員の家系です。私自身も元公務員でそんなに裕福な訳でもありません。何もないところから、それこそゼロから「公会計で国家経営を変える!」との気合一つで打って出ました。しかし、個人の努力だけでは限界があることも痛感しました。選挙といっても、政治的信条に従って政党を選ぶことができない今の仕組みには矛盾を感じているところです。