西郷南洲翁遺訓 | 桜内文城オフィシャルブログ「みんなきさいや」Powered by Ameba

西郷南洲翁遺訓

「幾度か辛酸を経て、志始めて堅し。丈夫玉砕して甎全(せんぜん)を恥ず。」
西郷南洲翁遺訓

先日、支援者の方のお宅にお邪魔した際、玄関先で西郷隆盛の遺訓が飾られているのをお見かけしました。今の僕の心境にもぴったりで、とても感慨深いものがありました。

実は、ちょうど20年前、僕は鹿児島の加治木税務署長を務めていました。せっかくの機会だと思い、毎週土曜日には、鹿児島市内の共研学舎という、江戸時代の郷中教育から続く幼稚園の校庭で薬丸派「自顕流」の稽古に汗を流していました。

僕は剣道3段なのですが、「自顕流」は普通の剣道とは太刀の持ち方、姿勢、腕の力の入れ具合、足の運びなどまったく異なります。「二の太刀はない」と言われるように最初の一撃に全体重を乗せて斬りかかるのです。明治維新はこの必殺剣法があったからこそ成し遂げられたんだろうなあ・・と思いました。

稽古の後はいつも南洲神社にお参りをして、雄大な桜島を眺めて気持ちを大きく持ったものです。今思えば、鹿児島の方々には大変失礼なことを言ってしまったと反省しているのですが、1年間の鹿児島勤務は、ある月刊誌に日本の統治機構のあり方について改憲論を発表したことが元になって左遷されたものでした。ようやく1年間の任期が終わりに近づいてきた、ちょうど20年前の今頃、東京の人事担当者から電話がありました。「次はマレーシアで3年だ。行くかどうか決めるのはお前だ。嫌なら役所を辞めろ」という、強烈な人事異動の内示だったのです。

「1年間耐えてきたのに、更に左遷か。30代前半の思いっきり仕事に打ち込める時期に」と思い、更に落ち込み、真剣に大蔵省を辞めるべきか否か悩みました。その時に言われたのが、この南洲翁遺訓の言葉です。「西郷さんだって二度も島流しにあったから、その辛酸を糧として人格を練り上げ、あれだけの大仕事ができたんだ。鹿児島が一度目の左遷と言われるのは気に入らないが、しっかりとマレーシアでも皆に認められる仕事をやってこい」と励まされたのです。

結果として、マレーシア大使館で一等書記官として勤務した3年の間にアジア通貨危機が勃発。国際通貨制度のあり方やバブルの発生と崩壊に関する社会会計の計量モデルを用いた博士論文を完成させることができました。その後、国家経営を変えるための公会計の世界に身を投ずるきっかけとなったのです。

現在、正直なところ大変辛い状況にあるのも事実ですが、自分自身の経験からしても、「ふるさとを守ることこそ国を守ること」という原点に立ち返り、ブレずに地元の皆様との信頼関係を築いていきたいと強く思います。このような状況にありながらも、常に支えて頂いているすべての皆様に感謝しつつ、力強く、地道に活動を続けていきたいとより強く思うようになりました。

連休明けからは更に政治活動に打ち込みます。見かけたらお声を掛けてくださいね。